FEDXP会長  JA1BRK 米村 太刀夫

FEDXPは昭和35年(1960年)に結成されました。FEDXP創立の1年前の昭和34年に、電信/電話級が制定され、そして新2級が誕生したのです。
45字の欧文モ−ルスの試験のみに合格すると、それまでの旧2級を持っていた人は、従来の80M・40Mバンドに加えて10MにもQRVできるようになりました。もちろん電波形式はFONEに加えてCWも出られるようになったのです。
旧2アマの時代でも、40MのAMによるDXを楽しんでいる人達は降りました。
故JA1EF樋口さんは、美声の持ち主で夕方になると中南米とのAMによる交信を行っており、とても羨ましく思ったものです。
その時代にハムを始めた私は樋口さんの真似をしてAMでDXを追いかけていたのですが、Wの局などは同じ周波数のCWでコ−ルをしてくることがあり、自然に欧文モ−ルスは覚えてしまったものです。
新2級に10Mが開放され、多くのJAがこのバンドにQRVしたものですから、にわかにこのバンドが活性化したのです。この時代サンスポットは、やや下降気味だったのですが、JAの新2級の連中のアクティビィティの高さによって、再び賑やかになったようです。
当時の1アマは、DXのメインバンドである14Mとか21MにQRVしており、自作時代のリグですから、10Mに出る人は稀だったのです。送信機・受信機も自作の時代でしたからVHFに近い10Mは技術的にも困難さが伴い敬遠していたのでしょう。しかし、新2級は、ここが最良のDXバンドですから創意工夫をして、10Mで強力な電波を出すことができるように努力しました。
FEDXPの創立メンバ−は、この新2級の連中が集まったもので、単純に「ジャパ〜ン」を叫ぶソフト屋ではなく、10Mでイかに効率良く電波を飛ばすために、送信機・受信機・アンテナの研究に熱心だった、ハ−ド屋の両面を持っていたのです。
最近は、素晴らしい市販リグ・アンテナに恵まれて、DXを追いかけている連中の多くは「ジャパ〜ン屋」に成り下がっているのが現状です。少なくとも、アマチュア無線の定義である「自己訓練」を忘れないで欲しいと思っております。
DXerは、国際感覚があり、アマチュア無線家の中でもエリ−トを自認しているのは結構ですが、通信の中身は「お声がけ」と変わらないのを心配するのは私一人だけではない筈です。 頑張りましょう。

                              
soraback.gif (4329 バイト) FEDXP名称由来