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アマチュア無線を楽しむ  長岡 ク ラ ブ 会 報

08.MAR.2009 /No.157

2009年長岡クラブ新年会 
 集合写真
2月7日、長岡市内でクラブの新年会を開催いたしました。
14名の参加で、盛り上がりました。例年のとおりに群馬のしらねさんからの差し入れ(今年は紅白のマシュマロ)もありました。
参加者は以下のとおり
JA0DET 島津(カメラマン)、JA0GNS 大矢(バス時間で早退)、
写真上段左から
JG0EXP 草間さん、JA0DMR 佐田さん、JJ0GSM 小林さん、JA0RXU 渡辺さん、、JH0LDT 島峯さん、JH0LSG 丸山さん
下段左から、JA0IAA 佐田さん、JA0DGK 中静さん、JH0INU 田中さん、JA0GEY 照月さん、JH0TJN 高木さん、JG0NMG 西澤さん
(トイレ中)
JG0NMGトイレから戻り無線の話はもちろん、会社や世の中の厳しい現状まで飛び出し大いに盛り上がりました。写真を掲載しますのでご想像ください。

マウンダー極小期
サイクル24が、さっぱり立ち上がらない。
宇宙天気ニュース特別記事が掲載されるほどに太陽活動が異常である。
特別記事の中にもあるが、1640年頃から1710年にかけての本当に黒点が観測されなかった時代があったそうです。
この特異な期間は、マウンダー極小期として知られています。その時期地球に何が起こったかは、興味のある方は調べてみてください。このサイクル24がその再燃の始まりかどうかは歴史が証明するものとなりますが,そんなことになれば太陽活動を相手にアマチュア無線を楽しむ私らには50MHZの外国とのQSOはもちろん、21MHZあたりのDX交信の楽しみが無くなるかもしれません。
と書き始めましたら、ようやく黒点群が観測され始めました。これがまたすぐ消えるのかどうか大変興味のあるところです。
50MHZのアンテナを上げるべく準備中の私にとって毎日の宇宙天気予報の太陽面を眺めています。

DXCC
クラブ会報No.152の中でのクラブホームページトップに5バンドDXCCの楯の写真を載せた。あまり大昔のことで何で載せたのか自分でも定かではないがたぶん何か目標みたいなものを持って趣味であるアマチュア無線を楽しむのも、良いんでないでしょうか・・・てなことだったのではないかと思う。

今までアマチュア無線を楽しむ中で、はっきりとした自分の目標(夢でなく実現可能なもの)を考えたのは5バンドDXCCのアワード獲得と160mでのDXCCのアワード獲得だと思う。DXCC(DX Century Club)アワードはARRL(Ammerican Radio Relay League)が発行する最も歴史と権威がある(と思っている)もので世界中で多くのアマチュア無線家・DX’erが、このアワード獲得を目標に楽しんでいます。その種類は18種類あってその中のひとつが5BDXCCでありまた、160m DXCCなのです。
私が、DXとのQSOに本格的に興味を持ったのはいつころからだったかは思い出せません。ただ、100W局の免許が1980年9月18日、500Wが翌年の11月26日ですから、おそらくこの頃と思います。ログをひっくり返すと1979年頃(サイクル21のピーク頃)には2mの国内遠距離を狙った運用が主(144MHZの14エレ4パラ2段などという今から見ればきちがいとしか言いようのないようなアンテナで遊んでいた)で、50MHZで太平洋や北米の局のコールがたくさん見えます(10Wde簡単にQSOできていたんですねぇ!!)が、HFでのDXQSOのログはありません。
HFでのDX QSOは、
1980年10月20日28MHZのSSBが始まりのようです。当時のログは28MHZが主でたまに21MHZでのQSOがたまにある程度で1981年になると99%が28MHZでのQSOになっています。たまに3.5MHZとか21MHZのQSOがある程度です。おそらく太陽活動の下降を考えて取り合えづ28MHZの100カントリーと考えたのでしょう。そんなわけで、まったく記憶にないのですがDXを始めると同時に5バンドDXCCを目標にしたものと思います。(他人の批評みたいですが)
QSOでいえば28MHZで100カントリーを達成したのが、
1981年8月9日ですから約10ヶ月。21MHZは同じ頃始めたのに100カントリー達成はそれより半年くらい遅れて
1982年2月18日に達成。ちなみに同時期28MHZは132カントリー。14MHZはなんとわずか24カントリーとなっています。
7MHZもたったの7カントリー。3.5MHZも6カントリーです。サイクル21の下降を意識して28,21MHZをやってしまおうと言う意図が丸見えですね。その半年後
1982年8月24日に14MHZの100カントリーを達成しています。28,21ともこの頃150カントリーで穴利増えていませんから完全に5バンドDXCC獲得を意識してるのが伺えます。この年のローバンドシーズン入りの11月  7MHZが23。3.5MHZが14カントリーです。
1年後の11月7MHZが90.3.5MHZが60です。このころ160mも始めたようです。ログにUA0やKH6が見えます。
1984年2月19日7MHZで100カントリー達成。約2年かかっています。
1985年2月11日3.5MHZでやっと100カントリー達成です。

アワードにはQSLカードが必要ですから、100枚集めるにはそれからまた3年くらいかかったのでしょうか??アワードの日付けから判断するとそんなものでしょうか・・・
5BANDDXCC獲得目標1980年頃からアワード獲得1989年まで、ちょうど10年かかったといえます。太陽活動のほぼ1周期で達成出来たことになります。すごくうれしかった記憶がありアワードのほかに有料で七宝焼き??の楯を有料で請求しました。
これを達成後、次の目標を当時アマチュアに許可されていた50MHZか160MHZかのDXCC達成になるが何で160mになったのかはまったく覚えていないが。
1985年2月に3.5MHZで100カントリー達成からその冬のローバンドシーズン入りの
1985年11月頃から160mにQRVし始めている。この時わずか13カントリー。果たして160mの100カントリーは何年かかったか?

アワードを見ると1996年9月6日の日付になっている。
ログからみた100カントリー達成は1995年11月16日丁度10年である。
それから100枚カードを集めるまでまた約1年かかっていることになる。
160mDXCCの完成は、5BANDDXCCなど比べ物にならないくらいに本当にうれしかった。たぶん、JA0エリアで初の達成だと思う。
とはいっても 今現在は設備の性能向上と世界中あらゆるところから160mのQRVがありDXペデションでは160mの運用は必ず織り込まれていることから1シーズンで100カントリー達成も決して夢ではない情勢にある。本人のやる気があればの話だが。

次の、DXCCアワードは6mに決めている。5BandDXCC,160mDXCC以上に楽しめそうである。

DE JA0DET

編集後記
約束していたDXCCアワードの話をやっと書くことが出来ました。

今月末で、会社を退職し”悠々?自適”の毎日となります。
不思議なことに、今でもまだ何をしようかと思案中なのです。
今年は新潟国体が開催されます。長岡市内では水泳/シンクロ(9/9、競泳・飛び込み(9/1から13)、クレー射撃・全種別(9/28から10/2)、バレーボール・少年男女、カヌー・フラットウォーターレーシング、テニス・成年男子・少年女子、(10/2から5)、剣道・全種別(10/3から5)と6つの競技とデモスポ行事としてスポーツチャンバラとユニバーサルホッケーが各地で開催されることになっています。前回の新潟国体は高校生だったと思います。今回は退職の年。中越地震での全国からの支援に感謝し元気な長岡、長岡の魅力を発信できればと考えまして 大会運営ボランティアに登録し 現在研修中です。

以上
今回文責はすべてJA0DETです。

FROM JA0DET 島津