アフリカ モーリタニアでボランティア活動中の小柳OMより当クラブ宛に
レポートをいただきましたので掲載させていただきます。
モーリタニアでの最後の金曜日 小柳襄治 13April 2007
モーリタニアに3月29日に入り、3日間IARVと共に過ごし、麻川さんを残して
皆東の1500Kmも離れたマリ共和国国境近くまで3班に分かれて工事に行った。
私は皆を見送って後、首都の中心近くのAhmedメゾンに移り住んだ。このときボーラがここを勧めた。
IARVの宿舎からは直線で約3km、徒歩で50分のところだ。毎日にように麻川さんの
「退屈で牢屋のようだ」!のコンプレーンが解消するよう散歩に連れ出したり、海岸の漁港を見に行ったりした。
今日までずっとこの国に通信事情の悪さはVHFがCBのように自由化すれば、電話の不自由を補えるはずだ!と電波局に訴えてきたが、なかなか敷居が高い。いよいよ明後日はこの国を離れる3日前の金曜になったのに、何も成果が上がっていない。ボーラ君は5日目にして父親のルユマチが悪化してきたので、1000Km北の里へ連れて帰った。1週間後帰ると言ったが2週経っても音沙汰なし。
ここはフランス語とアラビア語の国だから一人で電波局に交渉するのはつらい。4月4日スラマさんに同行願って面会したNo2偉い人Sidi Director(LIMAMさんと親友とかで電話で私の事は紹介してあった)、とお会いした。翌週名詞にあるインターネットで私の論調を叩き込むが一向に反応がない!2日後にそのコピーをプリントして午後4時頃一人で乗り込んだ。秘書が出てきて合わせてくれない。
「明後日お前の所へ行くから何処に住んでいるのか」?尋ねるので詳しく地図まで書いた。
てっきり来てくれるものと思って掃除まで念入りにして待ったが、がとうとう現れなかった。一晩考えた挙句ボーラの息子(25才)を連れて電波局に乗り込む事にしようと考えた。今朝息子は快諾して付いて来てくれた。午前9時半またコピーを出すが門前払いだ!
おくから電話で「来週の水曜日にまた来い」とDirectorの女性秘書が言う。
いやー明後日は国を離れる!是非今日の内に会ってくれ!と言う。「今日は金曜日で12時までだ」、後お祈りの時間だとごねる。しかしやっとのことで11時半に来いとアポが取れた。
やれやれと息子Hadramiと門の外に出て2時間どこで過ごそうか、この辺はコーヒーショップは皆無だな!しばらくしてHadramiが「ダチョウの卵を見に行こう」といった。
そうだそうだとタクシーで急いだ。烏骨鶏のヒヨコはそろそろ1ヶ月になってかわいい盛り、5羽が元気。これが成長するとねー薬膳効果でおもろいぞ!と語る。
ダチョウはあすが定日、温度を36℃にすべきところ33.5℃になっていた。大丈夫かな、1両日遅れても生まれるかな?チョット肩をすくめた。
HFの中古無線機やキャノンのプリンターiP90を2ヶ月前に船便小包で出したがまだ届いてない。
その伝票をHadramiの寝床に取りにやらせた。ところがなんとそこにボーラが帰ったばかりではないか!
フランスからの学者の通訳がアルバイト。すっかり歓喜して抱きついた。携帯は切っていたらしい。これで100倍の勇気が出た。ボーラはすっかりホコリまみれ、丁度善い時に良い所で偶然あった。早速ドレスアップさせて11時半のアポイントに挑んだ。
電管の担当とボーラはイスラムの様式で挨拶をかわす。われわれには暗号のように聞こえるが、お互いに交わす暗号?は10秒間ほど続く。女性の秘書も出てきたHadramiとも暗号を交わす。私の前は素通り。担当はしばしボーラに電波行政の事をはなし、
ところでLIMAMの電話番号は分かるか?と、即座に私の携帯の覚えを呼び出し、担当に渡す。
長い長い会話であった。結局私に代われと言う事になり、英語で説明してくれた。
これから国はVHFを充実させようと大きな計画を立てている、まず技術者の養成が先決だ。警察。消防。救急病院など計画がある。君は電波局に行っても仕方ないよ。そこは電波の周波数を割り当てるだけで、無線機の導入計画をするところでない。
これからすぐTelecom本部や警察、消防、大病院を廻りなさい。と諭すような、また実にやさしく語り口であった。
ボーラは長旅で金曜礼拝の後はグロッキーであろう。Hadramiもよかった!良かったといって帰って行った。思うに。Hadramiの一言「ダチョウをみに行こうよ」は神の声だったかも知れない、冥加につきる。73 de JA6RQ