日本アマチュア無線連盟 西福岡ハムクラブ   

(40A-1-6)の歴史

 旧福岡県糸島郡のアマチュア無線の草分けは昭和27年(1952年)開局のJA6AJ浜地礼介さん(当時日本無線勤務)です。昭和49年(1974年)西福岡ハムクラブを再結成する頃、一度だけ会合に出席された記憶がありますが、アマチュア無線からは遠ざかっておられるようで積極的な助言等はありませんでした。その後JA6HF行弘さんが周船寺で開局されています。当時、勤務の都合でアクティブではなかったようです、記憶では昭和49年から51年頃のミーティングやZKNクラブ局の披露会に出席されています。

 さて、昭和30年(1965年)頃、志摩町に電電公社(現NTT)の芥屋無線所があり、初代会長のJA6JU福本貞郎さんは官舎に6mの3エレ八木を揚げておられ、現会長の山本巌さんが志摩町新町でJA6TWを開局されていました。筆者JA6ACZ佐々木(糸高2年)は前原町で昭和33年9月に開局しています。 当時、ラジオ少年だった筆者はお二人から国試(2アマ)合格祝いに部品を頂戴し、山本さんの自作送受信機や福本さんが6mで交信された綺麗な外国のQSLに強烈な印象を受けました。 また、無線機の自作や無線局申請書の書き方、予備免許、落成検査の受け方まで懇切丁寧に指導して頂きました。 昭和33年9月の落成検査は箱崎のJA6ADG水野さん、西公園のJA6AEB柴田君(西南高1年)と前原の当局でした。 2局の検査をつぶさに見学し、送り迎えや寿司を用意する等々・・・学生の身分では大変なことでした。 郵政技官と事務官の2人による電力、周測、TVI、BCI調査、時計、業務日誌、検査簿、電波法令集など書類検査でした。重たい真空管式周波数測定機を提げて熊本から出かけてくるのも大変だったでしょうが、829B終段、3.5、7MHZ、50W自作送信機の検査を受けるのも凄く不安だったのを思い出します。 オフバンドしないようにダイヤルに印を付けられたのが印象的でした。 この年、電話級(4アマ)と電信級(3アマ)が新設され中、高校学生が受験しやすくなりました。

 昭和37年3月(1967年)旧糸島郡のアマチュア局とSWL西福岡アマチュア無線クラブを発足し、4月唐津市の鏡山、唐津城で移動運用、8月には芥屋で野外運用、9月技術講習会、12月9日に第1回総会を前原教育委員会前原出張所で行っています。アマチュア局JA6JU,TW,ACZ,ADG,AOU,ATI,BPB,BQK,BRI,BZD,CGA,CMR,COGの各局とSWLの瀬戸和記(ex JA6CSP)、浜地正幸、森山政巳(ex JA6DNG) 、(故)矢原逸郎(ex JA6DDT)、鎌田博幸(JI6KOO)、小田卓史、浦志保男、佐々木正光、神武昭信(JR6PXA)、木下義喜、清水、大部、高田(ex JH6HAK)、島村、松尾、坂田、青木(敬称略)の名前があります。  昭和39年はJA6ADG水野さん、40年にはJA6ACZ佐々木が会長を務め、アマチュア18局、SWL8局計24局で構成されていました。 この頃は超再生式50MHZトランシーバーが流行しており、能古島で移動運用しています。 ガリ版刷りの機関紙「NFCだより」(佐々木担当)は31号まで発行しています。 当時、板付飛行場近くに米軍基地(現春日市)があり、横流し真空管(4−400、813、6146...)や無線部品がごろごろしていましたが学生の身でお金がなかった。電池管3A5や米軍ジャンクを求めて、赤門堂や大西商会、マルヨ無線、博多金属などを巡り歩いたのがなつかしいです。


 しばらくブランクがあり、昭和45年(1970年) 三島重三(ex JA6PFG)さんを中心に、社会人主体のハム同好会が誕生しました。 この頃は景気もよくなり、アマチュア無線全盛期でした。YL局を含めて30数局のメンバーで羽金山デッカ局やKBC放送局の見学、背振山や波戸岬へ移動運用しています。昭和49年頃の旧糸島のハム人口は100局以上と推定され、あらためてアマチュア無線家の横のつながりを作ろうという動きが起こり、同年4月西福岡ハムクラブ再建委員会を発足させています。5月12日前原中央公民館で開催した第1回総会でJA6TW,JA6ACZ,JA6JVM,JA6PFG,JA6UPW,JH6CYZ,JH6DYZ,JH6EEA,JH6JJQ各氏が役員に就任しています。

昭和50年5月(1975年)に念願だったクラブ局JA6ZKNの免の免許が下り、翌年スバル西福岡(オーナーはJ JA6JVL,JA6JVM局)の2階をクラブシャツクに 用し、 無線し、無線機の大半と17mのコンクリート電柱は オーナーの私オーナ物を提供されました。  KBCに勤  務されている たJA6TW山本さんの指導で3エレ八 木(21NHZ)をクラブ員で自作して国内コンテストや博多山 笠JA6RL記念記念局JA6RL(福岡支部長JA6UT運用し、では2556局と2000以上ビスをしました。 最多QSO一位はJH JH6FRU 555局、二位 JH6BKE 405局、三位 JH6HAK   2JH6HAK51局など若手会員が活躍し、新聞記 にもなりました。 昭和51年三菱電機に勤務さ   れているるJH6FMM金子さん(故人)が会長に就任  れ毎月1回毎月のMeetingを約束、4月技術講習会、5月レクレーション、6月電波の日製作講習会、8ナイトFO X、9月国試X対策講習会、10月JARLコンテスト参加、11月忘年会、12月前原商工祭り参加、3月定例総会など驚くような多彩な内容の行事をしています。  特に元祖ナイトFOXハンティングは「夜間のキツネ狩り」の異名を授かり、遠方から 50数十台の車50が参加しました。 記録による、 2回ナイト  FOXハンティング(昭和51年8月28日実施)は参加40局、JA6YVN,JH6VAP,JH6FRU,JH6HAK,JR6BER,JH6NIC,JA6PLI,JA6WXZ,JH6GJM,JH6TZH,JH6FMM,JH6BKE,JH6FZN,JA6PNB,JA6JGK,JR6DNL,JH6OPC,JA6OXT,JH6LLM,JA6STK,JH6NIB,JH6XHK,JR6BNJ,JH6DIZ,JA6STK,JH6NIB,JH6XHK,JA6JVM,JA6JVL,JA6PFG,JH6NWW,JH6MTF,JH6UGM,JA6DUA,JH6CYZ,JH6EEA,JH6UGS,JA6ACZ,金子弘文、城正夫、参加車両18台、優勝はJH6CYZ,JH6HAK,JH6GJM(1時間24分)組、2位 JA6 (1時間45分),3位JA6PNB,JA6OXT(1時間47分)、アンテナ自作賞JA6JGK,JH6LLM(6エレCQx2)、クイズ部JR6DUA,JH6FRU(80点)、最短距離賞JH6CYZ,JH6HAK,JH6GJM(15.1Km),FOX3局はJH6XHK,JA6PLI,JH6BKE、 協賛:福岡ハムセンター、アポロハムショップ、ワールド通信、玉屋デパートから賞品の提供をうけました。 国内アマチュア無線局は100万局を超え、12万局がJARLの会員、福岡支部のJARL会員は8000局でした。無線機も車も飛ぶように売れ、モービル運用が流行しました。 昭和53年の機関紙ZKN NEWSによると唐松クラブと友好ソフトボール大会や第4回ナイトFOXでJR6BGA鴨川さんが1位になり、フィールドコンテストではニッパチ会(当時145.28MHZの仲間)と合同で鏡山へ移動、141万点を稼ぎ九州ベスト5にランクされています。 昭和53年(1978年)にJA6TW山本さんが会長、FDコンテストは可也の苑へ移動運用し、9バンドで207万8千点を全国ベスト10に入りました。

最もアクティブな頃で、前原商工祭では会長自作のSSTVやATVの公開運用、クラブ対抗ソフトボール大会、身体障害者施設小富士園慰問、ナイトFOX、JARL福岡支部大会ではFOXハンティングを担当しています。昭和58年には若手のJH6EEA那須さんが会長に就任、クラブ活性化の一環でマラソンコンテストを実施し、JF6HUM大神さんが優勝カップを獲得されました。この年にはJA6AQ岡崎さん(久留米市)が支部長に当選され、志摩会館で開催したZKN総会に来賓として出席されました。 ZKN会員は81名に膨れています。「エリマキとかげ」が流行した昭和59年(1984年)にはJH6MTF橋本さんが会長、毎週金曜22時から145.32MHZでOn air meetingが盛んでした。 昭和60年はJH6CYZ下郡さんが会長、FDコンテスト参加や忘年会を行っています。 諸般の都合で少し活動が停滞しましたが、昭和62年に心機一転JA6PFG三島さんがZKNの再建に立ち上がられました。 従来まで会費を徴収し総会開催や会報発行など義務が生じ役員の負担となっていました。今後、会費を徴収しないかわりに役員を様々な義務から解放しようという試みです。                                                                                                                                                                 会長という名称を廃止して世話人代表と世話人数名で運用してみることにしました。 行事も極力減らし、2月〜月に新年会(総会)、8月第1週末のFDコンテスト(野外運用)、秋の技術Meetingを目標としました。 三島世話人代表は  前原町職員前原役所 OBで、他に数局の現職員ハムもおられクラブの活動もスムースになりました。 夏休みになると前原、二丈、志摩中学校で公開運用を行い生徒や教師にPR、またクラブ主催の4アマ講習会も開催しJA6TW(1技)JH6ELN(2総通)さんが講師をされました。 さらに、JA6XAR青木さんがパル通信を新装開店され、4アマ養成講習会を毎年開催されるようになり上級アマ免許所持者が管理者や講師を勤めました。アマチュア無線専門店が6店舗もあり、一度に50局のハムが誕生する時代でした。平成5年(1993年)前原市が誕生し、1カ月間、市庁舎の「市民サロン」よりJA6RLを運用することができました。 約5000局と交信し、見学にこられた市民の方にはアマチュア無線を、国内各地には前原市(JCC4028)誕生を大いにPRしました。また、アマチュアる社会献を意識して非常通信網作りに取り組み、旧糸島郡各地に移動して145/430/1200MHZの伝播地図を作成しました。この成果は現在の前原市非常放送通信網の構築に役立っています。平成6年(1994年)2月5日寿苑で新年会、26日割烹「たつた」でJA6PY、TDD桑原夫妻の送別会、27日瀬高町で「おもしろハムフェア」、11月20日那珂川町ミリカローデンでJARL福岡支部大会が開催されました。平成7年(1995年)5月14日羽金山で移動運用を行いました。  平成8年(1996年)2月25日「第1おもしろハムフェア」が瀬高町で開催、4月14,21,28日4アマ養成講習会を伊都文化会館で行いました。

 


 

平成9年2月22日(1997年)寿苑で新年会、23日「第2おもしろハムフェア」が柳川で開催されています。12月前原市健康福祉センター「あごら」で世話人会を開催し、新年会やクラブ旗作製、講習会、「おもしろハムフェア出展」について協議しています。4月20日支部ARDF大会が篠栗町で開催され参加しています。 5月25日山口でJARL総会、9月28日から10月7日まで古賀市誕生JA6RL記念運用、 11月23日春日市でJARL福岡県支部大会が開催されました。

 平成10年(1998年)1月18日支部新春アイボール(賀詞交歓会)川端冷泉閣で開催、2月7日寿苑でZKN新年会、2月22日「第3おもしろハムフェア」が瀬高町で開催され6m ヘンテナを展示しました。平成11年2月(1999年)瀬高町中央公民館で「第4おもしろハムフェア」が開催され福岡、佐賀、熊本から600名、当クラブから5名参加しています。内容はソーラーラジオ製作、パソコン通信、無線機器の展示、講演会が行われ、三島さん制作のビデオテープでクラブの紹介や山本さん自作のATV送信機、6m へンテナを展示しました。地球壊滅、人類滅亡、パソコン暴走など2000年問題で騒いだ年でした。 平成12年(2000年)6月19日JARL福岡県支部長JA6GO高本さんが急逝され、残り任期をJA6ACZ佐々木が支部長を引き継ぐことになりました。