新潟中越地震救護報告 2004.10.28-2004.10.29

名古屋第二赤十字病院整形外科 佐藤公治 JR2TDE

掲載開始日:2004.11.08


 10月23日午後六時頃地震発生。24日夜が明けて被害甚大との報道。日赤本社からdERU(緊急医療救援ユニット)出動。自分は、朝九時からJARL愛知県支部非常通信訓練をしていた。WIRES新潟局レピータ案内のメールを見た。25日当院から救護班出動決定、班長に選ばれた。インターネットで情報収集した。小千谷市役所インターネット再開、26日電気復旧、一時防災無線も不良との報道もあった。
 28日朝四時日赤救護車で出発、48時間の医療救護の任務。WIRESメーリングリストで知り合ったJI0TWA牛木omからWIRES接続レピータが生きているとの情報。ハンディーを持って出動した。昼前現地小千谷対策本部に到着した。現地は被災後5日目でまだ混乱していたが、波打ったり陥没した道もとりあえず復旧しつつあり、救援物資は続々届いていた。3日目には電気の復旧はしてきたとのこと。水道はまだだった。
 家族三人生き埋めで奇跡的に2歳の子が助かった現場の近くの勤労青少年ホームの体育館に救護所を設置し診療してきた。余震も多く、なかなか心落ち着かない。70人近く診てきた。phase1となり疾患的には内科的と思って行ったが、日に日に寒くなり感冒、二次災害の外傷、頻回の余震によるストレスで、また車中泊の人が多くエコノミー症候群など整形外科医も役立った。気温4度の冷え込みでガラスの割れたふきっさらしの体育館はとても寒かった。心のケアーはじめいくつかの新しい活動をしてきた。
 24時間診療所のため忙しく、余裕ができた午後十時過ぎ、ハンディーを持って少し救護所の外へ出てみた。439.22はアクセスできたが、使われていなかった。WIRES経由での愛知県知立市にアクセスしJN2AESを呼んだがうまく行かなかった。現地ではすでに携帯電話はメールも使え、日赤も無線150Mhz帯と携帯電話を併用していた。
 今回は電気、通信の復旧早く、五日目にはアマチュア無線の非常通信の要請は減ったようだ。JARL新潟支部のページには、レピータの移設、調査班も出たが携帯も使える状態でニーズが少なかったと考える。今後、増えるボランティアの連絡などには役立つかもしれない。豪雪地域で復興には時間がかかると思う。
 今回の経験より、発災後3日分の飲み物、食料などの常備が必要と感じた。3日すると電気、通信が回復してくる。日頃の準備が重要である。
 被災した皆様に、お見舞い申しあげます。

救護所にて