9N1CC/JF3CCN 大 西 勝 久
《 日誌編 》
職場の異動で、やっと年末に世間なみの休みのある部署にかわりました。本
来なら家族揃って紅白歌合戦などを見て新年を迎えるところなのでしょうが、
90年のHS0ILY以来、久しぶりに思い切って念願の9Nスタディーツア
ーに参加させていただきました。
94年12月29日(木)・・・・関西新空港になって、不便になりました。
朝8時丁度に空港集合となると、兵庫県の丹波篠山からは、間に合う電車があ
りません。午前中に家の大掃除を済ませて、午後、宿泊先の大阪天王寺駅前の
ホテルに向かいました。JR3WXA八木さんと合流し、ささやかな前祝いを
「餃子の王将」でしました。
12月30日(金)・・・・5時40分、目覚まし時計で起き、慌ただしく洗
面などを済ませて、天王寺6時30分発の関空快速に乗り、約1時間で空港に
ついたのですが、ずいぶん遠くになったものです。JH3PAS市川氏と合流
し、10時00分発のKE721便でソウルに向かいました。ソウルでは、慌
ただしくKE6475便に乗り継ぎましたが、座席をめぐってパニックが発生。
座席番号を書き換えたチケットがあり、「俺の席だ、私の席よ!」と大混乱で、
なかなか出発できません。「とりあえず空いてる席にお座りください。」とい
うことでカトマンズに向け出発となりました。東京組とも合流できたのですが、
席は離れてしまいました。約7時間のフライトで夕刻のカトマンズ空港に着き
ました。日本のローカル空港のようで、全体に照明が暗く、また、役人が袖の
下をもらった(?)ツアー団体はスムーズに通し、一般客はゆっくりと処理す
るため、入国手続きにやたら時間がかかりました。東京組が運んできた7MH
z用のAFA40とルーフタワーも無事通関でき、ホテルへと向かいました。
日本との時差は、3時間15分となんとも中途半端です。先発のバングラデシ
ュ班も到着しており、さっそく食堂で、結成夕食会となりました。
12月31日(土)・・・・ネパールでは、毎土曜日
が休日で、官庁も当然休みなので、免許の手続きは明
日となりました。王宮の近くでもあり、目立つアンテ
ナを上げて、警察に踏み込まれるようなトラブルを避
けるため、免許を手にするまではアンテナ工事をしな
いことにして、今日は歩いて市内の視察に出かけるこ
とにしました。
日本のような大晦日の雰囲気は全くありませんが、人
々々・・車々・・牛・・犬・・があふれています。店
の前を通ると「これ買いませんか?」と、日本語でや
たら声をかけてきます。メガネをかけてカメラを下げ
て集団で歩いていれば日本人と見られてもしかたない
か・・と納得するところですが、日本人でない振りを
するのが一番のようです。
午後、カトマンズ郊外にある、故9N1MMモラン神
父の学校を訪問しましたが、すでにアンテナは撤去さ
れていました。郊外へ出ると、市内とは風景が一変し、
家はまばらになり、段々畑が見えてきます。道路は一
応舗装はしてありますが、穴ぼこだらけで、トラック・
荷車・自転車・歩行者・・が行き交う道を、古い日本
のタクシーがぶっ飛ばしてゆきます。遊園地のジェッ
トコースターよりスリルがあります。

(カトマンズ市内の商店街)
95年1月1日(日)・・・・今日は、免許の申請に
PTTへ行くグループとアンテナを組み立てる班に分
かれ、作業を開始しましたが、資材を保管している倉
庫の鍵を持った担当者が所在不明とのことで、TA3
3やGPが建てられません。リグも工具類も部品も出
せないので、今日は出来るところまでやって終えるこ
とになりました。持ってきたルーフタワーのネジ類が
足りない、AFA40を開封しても工具が無い、同軸
にコネクターを付けようとしても半田ゴテが無い、手
分けして買い出しに出かけたものの何処に何を売って
いるのかわかりません。それでも、品質はともかくそ
れぞれ必要なものを調達することが出来ました。PT
Tへ行った班も免許をもらって帰ってきたのですが、
リグを倉庫から出せず残念でした。

(7MHz用八木アンテナの設置作業)
1月2日(月)・・・・倉庫の鍵も無事届き、リグやアンテナを運び出し、セ
ッティングやSWRの調整を済ませました。突如大通りに面した屋上に大きな
アンテナ群が現れ、通る人々が珍しそうに見上げていました。
1216UTC、9NIAT原会長のRU4WJとのCWによるQSOに続き、
7MHzで9N1CCの運用を開始しました。パケットクラスターに載ったの
か、パイルが段々大きくなります。この時の呼ばれ続ける感激は表現のしよう
がありません。JAが一息ついて、ヨーロッパ方向にビームを向けると、こん
なに7MHzにEU局がいるのだろうかというほど湧いて出てきます。3.5
MHzも朝方EUやJAとできましたが、ちょうどJA方向にネオンがあり、
ノイズレベルが高く困難なQSOでした。結局、朝まで冷え込むシャックに泊
まり込んで、交代で運用しました。
1月3日(火)・・・・午前中はホテルで睡眠をとり、
午後からは、当クラブで援助をしているモデルプライマ
リースクールを全員で訪問し、視察しました。規模は小
さいながらも、家庭的な雰囲気で、子供達が一生懸命勉
強していました。また、表情がとても明るいのが印象的
でした。
視察後、再度運用開始。私は、7MHzが開く頃、夕食
もそこそこにシャックへ行き、今日も泊まり込みで運用し、
7MHzでEUのパイルを楽しみました。EUは全体に
お行儀が悪く(特にイタリア)、QSOもスムーズにで
きませんが1〜2局/分くらいのペースでQSOが続き
ました。WやJA相手なら倍はできていたでしょう。

(モデルプライマリースクールの子供たち)
1月4日(水)・・・・21MHzでの9N1ASのR
TTYの運用を見た後、ホテルに帰り、午前中は寝てい
ました。午後は、先発のバングラ組が帰国します。ロビー
で見送った後、7MHzでJAが開くまで、他のバンド
の運用担当者にオペレートを任せ、何人かで郊外にある
通称モンキーテンプルへ出かけました。遥か遠くにヒマ
ラヤが見えていました。
夕方のJAを狙うため、一人で意気込んでシャックに行
くと、突然停電。回復のめどはわからず、あきらめてホ
テルに帰ると電気がついたので、またシャックに戻りC
Qを出しました。パイルになったところでまた停電。寒
い真っ暗な部屋で横になって待っているとやっと明かり
がついたのですが、電圧が低いので蛍光灯はつかず、白
熱球だけが薄暗くついています。キーを叩くとピュンピュ
ンと以前のUA0の局のような信号になっています。こ
んなことが数回続き、担当の時間帯には20局程度しか
QSOできませんでした。後の運用は若いメンバーにお
任せし、今日は久しぶりにシャワーを浴びて早く寝るこ
とにしました。

(RTTYを運用してい9N1AS(JH3PAS))
1月5日(木)・・・・今日は撤収の日。7MHzで昨
夜の泊まり込み組がEUに混じりTUやZA,VP2E
など珍局が呼んできたとはしゃいでいました。
TA33を最後まで残し運用を続けながら、AFA40
やGP、DPを先に降ろすことにしました。TA33も
解体し運用終了。リグ、機材を梱包し、チェック後倉庫
に保管していただき、お世話になったスカウト本部の皆
さんと記念写真を撮りシャックを後にしました。ホテル
に帰り、PTTに提出するログをコピーした後、久しぶ
りに全員で夕食。食後、私の部屋に集まり、運用の反省、
検討「関東VS関西文化論議」など、夜遅くまで討論会
となりました。

(ネパールスカウトハウスとアンテナ。毎回ここから運用している)
1月6日(金)・・・・午前中に荷造りなどを済ませ、遅い昼食後、15:0
0に空港に着きましたが人人・・でごった返しています。早い目に出国審査を
受けたいのですが、役人のゆっくりした仕事のためなかなか進みません。結局
18:15のKE6465便は1時間ほど遅れて離陸しました。クルーの交代
と給油のためにシンガポールに寄るとの事で、何か得をした気分になりました。
1月7日(土)・・・・深夜のシンガポールではトイレだけで、すぐに機内へ
戻りました。出発が遅れた分を取り戻してくれないと、ソウルでの関空行きの
便の乗り継ぎに間に合いません。不安もよぎったのですが「何とかなるやろ」
とビールをもらって眠りに着いてしまいました。ZZZ・・・。
眠いのを起こされ、朝食後、眼下に済州島が見え、間もなくソウルに到着。
関空組と成田組に分かれ、お別れの挨拶もそこそこに慌ただしく乗り継ぎのた
めの搭乗口へ急ぎました。本来なら、すでにソウルを離れ関空に着いているは
ずのKE724が待っていました。13:00無事関空に到着。関空快速で大
阪駅へ行き、関西組も解散となりました。 お疲れさまでした。
《 食事編 》
ホテルでしか食事はしませんでしたが、カレー各種、ステーキ、パンetc...
街中には日本料理店もありました。昼と夜とは毎回カレーと決め、メニューの
上から順に注文しましたが、それほど辛くもなくFBでした。ただ、朝食に付
いていたジュースを飲んだ後、すぐに下痢になってしまいました。ジュースを
水道水で薄めていたようです。ミネラルウオーターを常に用意し、水には気を
つけていたのですが不覚でした。去年、タイ米で不評だった長い米も、カレー
や焼き飯ならとてもFBです。炊き方の違いでしょうか?タイ米を捨てた人の
気が知れません。料理の種類も、フランス、中華など何でもあるようです。
帰国して出勤初日、私と同時期にインドを旅行した人から赤痢菌検出との連
絡があり、隔離収容や患者宅の薬剤散布に駆り出されました。私自身も帰国前
から下痢をしていたのでひと事ではありませんでした。私は幸いにも水あたり
のようでしたが、青ざめてしまいました。Hi。
《 街中のようす 》
空港に着いたのが夜で、日本と違い街全体が暗いという
のが第一印象です。
日本ではとっくに見なくなった古い車(20年くらい前
のカローラなど)が現役で走っているのには驚きました。
車は日本と同じく左側通行ですが、運転は荒っぽく、ク
ラクションは鳴らしっぱなしです。カトマンズ市内は、
古い車と三輪タクシーの吐き出す排気ガスで目や喉が痛く、
また、乾期なのか、街中が埃っぽい状態でした。
滞在先のアンバサダーホテルの周囲は、大使館が集まっ
ている地区ではありますが、屋上には大きなパラボラア
ンテナが目立ち、香港の衛生放送のスターチャンネルな
どを受信しているようです。日本のアニメなども中国語
で放送していますが、日本に関するニュースはあまり無く、
NHKの海外放送も受信しづらかったです。
建物は木の柱で、壁部分は煉瓦を積んだ2〜4階建ての
家屋が軒を連ね、中は薄暗かったです。大きな建物は、
たいてい政府関係のもので、まだ、高層建築物は見あた
りません。上下水道は徐々に整備しているようですが、
道路はいたるところで掘り起こされ、瓦礫が積んであり、
牛の糞尿が道路上で悪臭を放っていて、歩くには足元に
も十分注意がいります。
電力供給は不安定で、突然停電があるので、持参した小
型の懐中電灯が活躍しました。また、街中では、平日に
もかかわらず、仕事をしているようには見えない(?)
人が多く、子供や犬が多くいるのも目につきます。「景
気が悪く、毎日が休日です。」と言っていたスカウト本
部関係者の言葉が思い出されます。

(街中で出会った子供たち)
《 まとめ 》
9Nで電波を出せたのは、JA8ATG原会長の長年にわたる関係官庁との
粘り強い交渉や働きかけのおかげで、感謝と敬意を表します。行けばすぐ免許
をくれるバカンスペディションとは違いました。
私は7MHzを主に夜間に運用しましたので、昼間は街中や郊外に出かけ、
この国を知る事に努めました。運用の合間にかいま見る人々の生活は、物資面
では決して豊かではないようですが、何処へ行っても子供が沢山いて、表情が
明るいのはたいへん印象的でした。
また行ってみたくなる不思議な国ネパールのスタディーツアーへ、ぜひ参加
してみてください。
( de JF3CCN )