中国鉄道事情あれこれ

JG1GCT 関 長臣

1 はじめに
 2010年5月1日より半年間、上海で中国最初の万博(中国では世界博覧会、略して世博という)が開かれている。4月下旬に或る行事に参加するため上海に行き、準備中だが見たいですかと誘われたものの、秋の再訪を約して見ずに帰って来た。昨年秋には市内のあちこちで、万博に対応して地下鉄の突貫工事が行われていたが、さすがにそれらは終わり、地下鉄が世界で最長の都市になったと誇らしげに発表された。一方高速鉄道建設は急速で、上海付近でも工事が進んでいた。
 私が国鉄退職後入った空調機器メーカーが、上海に合弁会社を設立、1987年に責任者として赴任したころの上海は、まだ外国投資も始ったばかりで、建物も道路も古いままであった。国鉄はまだSL全盛時代、上海で電車と言えば無軌電車、すなわちトロリーバスであった。それから20年余り、こんなに中国の交通が変わるとは夢想もしなかった。今回はこの間の変化を見続けていたものとして、思いつくままに記してみよう。

2 上海の軌道交通
 文化大革命が終わったのが1976年、1990年代になって、中国政府がやっと上海浦東地区の開発を決め、上海の変革が始った。1991年になると地下鉄工事が始り、上海の最初の地下鉄1号線の試営業が始ったのは1993年で、1995年正式に営業が始った。繁華街の准海路に三つの駅が出来たのだが、建設中は端の歩行者用の細い道を残すだけで、自動車通行禁止としたし、真夜中も杭打ちしての工事であったから、工期もすこぶる短かった。今のように自動車が多くなかったし、観光客も多くなかったからそれですんだのだろう。
 上海には、かっては外国人租界にも中国人街にも路面電車があって、今も繁華街である南京路にも、有名なガーデンブリッヂ上も走っていた。戦後街の中心部から姿を消して行き、1975年に現在の魯迅公園前から、復旦大学の前を通って五角場付近に至る最後の線が廃止されて以来、始めての市内を走る軌道交通となった。1号線は南北を貫く線で、次に東西を結ぶ2号線が建設された。この二線は、一部地上区間があるものの、基本的には地下鉄でドイツの車輌が輸入された。ついで3号線が走り出したのだが、この線は中国で初めての高架鉄道で、明珠線の通称のほか、なぜか軽軌というLRTを連想するような呼び方がされた。車輌は当初は1号線の古いものを使ったのだが、その後フランス系の車輌が導入された。3号線が街の真ん中を走る高架鉄道として建設できたのは、上海駅から杭州に至る単線の国鉄線があり、その新龍華までの区間を転換したためであり、上海駅の北方に延びる線も、この頃は留置線的に使われていた国鉄線を転換して建設された。

 さてこのように、出発した上海市の軌道交通、いまや12号線は建設中であるが、万博の輸送手段として部分開業した13号線を合わせて12路線、この春で420kmにもなっていて、かっての自転車通勤に代り、通勤の主役になっている。最近は朝の通勤ラッシュも、日本を連想するほどひどくなって来たようだ。一、二年前だったか、ドイツ製の車輌は、空調能力が不足しているという新聞記事を見た。上海は緯度で見ると、鹿児島と同じで、夏は35度は当たり前、時には37度以上にもなるし、家庭の空調も普及しているから、乗客の不満も高まったのであろう。
上海市の面積は6341平方㎞、すなわち東京都の約3倍、京都府と大阪府を併せたほどの面積である。従って日本の地方自治体の感覚で考えてはならない。首都圏或いは阪神地区のように、国鉄の電車、或いは私鉄と言ったものはない。殆どが平坦で、山と言っても低い丘のようなところが僅かにあるだけで、もともとは中央部に集中して街を形成し、多くの部分は農村であったのが、商工業のための開発、また中央部の再開発に伴い、郊外地区に工場が出来たり、多くの人々が住むようになったから、軌道交通が主役になったのも、むべなるかなと言うところである。

 路線はまだまだ増えるので、何号線と言う呼称を、線の性質により、郊外と市中心部と結ぶ線はR、市中心部の中を結ぶ線はM、そして比較的乗客が少ない補完的な路線をLとし、例えば地下鉄1号線、2号線はR1、R2、10号線、12号線はM1、M2というように決めたようだが、中国の人々はアルファベットに慣れないから、一般にはこれまでの呼び方が使われるであろう。
 1、2、3号線などの車輌は、車長も23.5mほどで車幅も広い5扉車であるが、5号、6号線などは短く車幅も狭い4扉車である。規格を変えているのが将来問題になるのではなかろうか。シートは全てプラスティックであり、ドアは最近は外吊が多くなった。大分前に地下鉄の高級技術者に会う機会があったが、その際1、2号線では信号の方式が異なると言うことを聞いた。複数の信号方式に対して日本はどうしているかと聞かれ、当然対応する全ての車上設備を搭載していると答えたが、折角白紙の状態から進められたのに、なぜ違うシステムを導入したのかという気がした。また国鉄は左側通行なのに、地下鉄は右側通行、将来国鉄線との相互乗入れは必要ないのだろうか。
 全線ワンマン運転が行われており、駅では運転士がホームに出て監視している。扉の上に赤、黄のランプがあり、ピッピッ・・と言う音と併せて発車合図としているが、扉が閉まってから発車まで時間がかかり過ぎるようだ。新しい線区では地下部分ではホームドア、地上部分ではホーム柵が設けられているが、既設の中心部の乗降客の多い駅にもホームドアが設置された。

 自動改札はターンスタイル方式で、公共交通カードと言うICカードも使え、多くの人が利用している。4月から今年末までは、初めての一日乗車券が発売されている。  2号線は万博に備えてか、東西に延長され、国際線を主とする浦東空港と、国内線を主とする虹橋空港が結ばれたが、この間は60km以上あり所要時間も長いので、直通客がどれだけ利用するかは分からない。ただ虹橋空港は高速鉄道とも接続する上海の交通拠点となるので、市の中心部からアプローチする重要手段になることであろう。

地下鉄6号線画像
写真―1 地下鉄6号線  港城路

 地下鉄2号線の最近まで終点であった張江高科駅の付近に、高科技園区つまりハイテク工業区があるが、ここに2010年1月新たな軌道交通、すなわちLRTが開業した。これは天津でも採用されたフランスのトランスロールで、1条のガイドレールを使うゴムタイヤ方式である。車輌は3両編成の低床式で、加速減速とも、自動車のような足踏みペタル方式である。
 上海の軌道交通と言えばMLVを抜かすわけにはいかない。浦東空港と地下鉄2号線の龍陽路を結ぶ30kmのこの線は、世界最速の431km /hの営業速度を誇っている。何分運賃が安くないこと、市の中心まで行くには、龍陽路から、更に地下鉄かタクシーに乗り換えなければならず、利用者を見ると、一回乗ってみたいというような人が多く、開業前のFSのような状況でない。 2006年に上海、杭州間に、このMLVを建設することが決まったといわれたが、最近またその話が出ているようだ。しかしこの間の在来線には、中国版新幹線型車輌が1時間20分ほどで現在走っているし、新しい高速線も建設中であり、約170kmの区間に、3本も異なる鉄道線が必要かという気がする。このドイツの技術によるMLVは、常電導方式だから浮上は1cmほどであり、このルートは地盤が非常に良いというわけでもないので大丈夫かなと思う。

浦東空港付近を走るMLV
写真―2 浦東空港付近を走るMLV

3 中国鉄道の中長期計画
 1945年10月に中華人民共和国が誕生したとき、鉄道の営業キロは2. 2万kmで、複線は9百キロ弱、電化ゼロであった。現在営業キロは8万kmに至ったが、国土面積は日本の25倍、人口は10倍の大国であるから、決して十分といえない。中国はこれまで1953年に発足した5ヵ年計画で種々の施策を進めて来た。現在は2006年に始った第11次5カ年計画の途中であるが、2004年鉄道部(部は日本での省に当たる)が、初めて中国鉄道の中長期計画を発表した。この後2007年に国家発展と改革委員会が「総合交通網中長期計画」を発表したことにより、2008年鉄道の中長期計画は修正された。
 総合交通網は、鉄道、道路、内陸航路、空路、パイプラインを考え、全国で42の交通中枢を設定し、旅客輸送においては「距離ゼロの乗換」、貨物輸送においては「継目無き接続」を原則として総合交通ネットワークを構築する計画を進めることとしている。この交通中枢は、中国語では「枢紐」と言い、先の原則に沿った交通の大拠点となる。前述の虹橋空港の西側に建設中の枢紐は、北京~上海と、上海~杭州の高速鉄道が接続し、地下鉄は2路線、それにバス、タクシーが入る。

 鉄道の中長期計画で、まず注目されるのが旅客専用線、つまり中国版新幹線である。これは大きく二つの分野があり、一つは四縦、四横で表す北京、上海、広州などを結ぶ大幹線、もう一つは上海近辺の揚子江デルタ地帯などの、人口が多く経済的に発展している都市間を接続する幹線である。既に開業した武漢~広州の線は前者、北京~天津の線は後者である。
 この高速鉄道の最高速度は350km /hであるが、すでに建設された線に乗られた方の印象では揺れも少なく快調のようである。走る車輌は中国版新幹線車輌で、いまは「動車組」と呼ばれている。ドイツ系、日本系など幾つかのルーツがあるが、2007年6月の中国の新聞で2008年には 300km /hの中国国産の動車組を走らせ、更に2009年には350km /hの動車組を走らせると言う記事を読んだときには、正直のところ本当かと思った。しかし2008年の北京オリンピックの開催にあわせて建設された北京~天津間の高速線では、記事より早く350km /hで走った。中長期計画では、2020年までに 1.6万kmの高速線を建設するとしており、当然必要な多数の車輌も国産する。
 先日ある会合で、日本の新幹線の車はなぜあのような形をしているのかという話になった。結果的にはトンネルが多く、またその断面積が小さいからであろうということになった。中国の新幹線ではトンネルが少ないようで、日本と全く条件が異なる。北京~天津の高速線のドイツ系車輌にしても、決して日本のような長い鼻はない。
 旅客専用線のみでなく、貨物専用線建設、また在来線の増強が進められ、2020年の鉄道網は12万km、複線率50%、電化率60%と計画されている。高速鉄道の最高時速も更に上げることが考えられている。中国の鉄道技術が急速に向上していることを、我々は認識する必要がある。

(中国常州祥明電機有限公司顧問)