JE3DYU

北野天満宮ボーイスカウト講演報告



北野天満宮講習会その1
電信通信を学習するボーイスカウト仲間
JE3DYUさんがボ−イスカウト(北野天満宮所属)さんへ
モ−ルス通信の歴史、沿革そして利点、欠点ならびに
社会に貢献した通信の原点モ−ルスについて
講義をされましたので内容を紹介いたします
1.講義について、ボ−イスカウトの活動とは間接的な
  関係があり、野外活動を通じて通信の意義を知りたい
2.モ−ルスを覚えることは後の研究課題。
3.社会探訪の一環として見聞を広める為の講義

講 義 内 容 抜 粋
    日 時  平成14年6月16日(日)
    場  所    北野天満宮社務所控室 
    受講者  ボ−イスカウト連盟京都第85分団18名
 1.    通信とは?
           江戸時代〜明治維新   1.狼煙/ 飛脚  / 早篭/ 早馬/ 太鼓
         江戸時代近距離の連絡  太鼓、笛など音、大声、松明
              〃   遠距離の連絡     飛脚、早篭、早馬
   2.   (文明開化の進展とともに)モ−ルス=電信=電報
      明治維新後〜現在    2.郵便/電信/手旗/光信号/宅配便/宅急便
   3.  モ−ルス符号(モ−ルス通信)の歴史
        幕末1864年黒船のペリ−提督が開国を迫って幕府に献上したモ−ルス
       電信機による。
          a.エンボッシングモ−ルス電信機 (ペリ−提督が幕府に献上した電信機)
     b. シグニ−モ−ルス電信機
      c.フレグ印字電信機
     d.ABC電信機
     e.シ−メンスモ−ルス印字電信機
     f.シグニ−モ−ルス電信機
      以上は逓信博物館所蔵品です。  
  4.  モ−ルスの歴史、沿革について
     モ−ルス通信が社会に与えた貢献度について
           海外  タイタニック号の沈没
      国内  昭和26年ジェ−ン台風から昭和36年伊勢湾風台風など人名財産の保護
     と災害救援に非常無線通信(モ−ルス通信)が活躍した。
   5.  モ−ルス通信の利点、1.僅かな電力で遠くまで届く(無線通信)
                                  2.混信に強い(無線通信)
3.秘密性に富んでいる(有線/無線通信)
4.暗号が使用できる(有線/無線通信)、
5.遠近に拘らず有線通信では低電圧で安定した通信保持。
              〃       欠点 1. 送信、受信に若干時間がかかる。
                              2. 符号を覚えなければならない。
                 3.  回線工事、中継所など設備コストが大きい。(有線)
6.A 我国の電信元年  明治2年 (1869年)横浜に電信機役所と言う官立の
               取扱所を設けて東京まで電信回線の工事が始り5年に完成     
               明治維新の文明開化の基礎となる通信の役割は国策として
               官用通信が最優先に運用された。
  B.明治中期の電信  日露戦争に於いて有線電信通信が活躍した明治30年代には
               軍、官、民 の優先順位から絶対的な「軍」の管理下に置
                             かれる (軍事電報、軍事郵便)その時のモ−ルス符号は
                             現在とは異なる符号であった、(逓信博物館資料による)
   参考 電話元年・・・・・・明治23年(1890年)東京で始る。
             明治維新の文明開化の足跡 1.ガス灯の設置 ガス灯見物の民衆で賑わった
                                 2.当時は電気(AC100V)はない
                                3.街頭にあるのは電信柱だけ 
※	当時は電信線を張った電信柱のみで一般家庭の電灯線の電柱は1本も無かった
:現在の電柱を電信柱と呼称する年輩者(戦前生れ)があり、電信柱の呼称で
       親しまれていた(戦後でもそう呼んでいた)
    余談 A 当時官営鉄道(国鉄)が開通した明治20年後期山陰線京都〜園部間の汽車
        が開通したとき沿線の民衆は手弁当持って見物に集った。
     B 郡部の小学校では遠足は汽車見物が主、鉄橋を渡る汽車に歓声を上げたもの
       でした。
     C 当時京都市蹴上に発電所が完成して日本で市内電車として初めて明治34年
京都軌道鉄道(北野線京都駅前〜北野天満宮前と京都駅〜中書島)まで開通、
       市民が見物に大挙して押掛けた、俗に「北野のガタ電」の愛称があった。
※	文明開化の余波は一気に全国津々浦々に広まり時代とともに世相は民衆の心は新
※	   しい機械文明に陶酔しやがて欧米並みのハイカラ 時代の見聞を広めるのである 
   7.    モ−ルスとは アメリカ人 ブレッセ モ−ルス氏によって考案された紙テ
       −プに短点、長点の符号を印字する機械を発明(印字電信機)。
    ※. 日本のモ−ルス符号は日本独自の符号を組立てて現在に至っている。
  8.  A 大正時代に入り無線通信でもモ−ルス符号による電報の取扱いが始る
     B 大正13年 ラジオ放送が始る。
      C  昭和28年テレビ放送始る。
          D   昭和42年カラ−テレビ放送始る。
      こうして電気通信の発展は目覚ましく進歩して国民の福祉に寄与する不可欠の官営
     事業として昭和時代に入る。
  9. 昭和の時代に入り日本軍部の台頭により軍国色が漂いはじめ満州、支那事変から太
         平洋戦争へと軍部独走の時代に突入し、電信の占める重要性は更に強固になり最優
     先の軍事用電信は最高の機密、国民大動員令・・・・時の軍事内閣の通達は電報がその
     役割の大部分を占めた。
 10. 昭和39年を堺に国民の生活安定がささやかれ、高度経済成長期の全段にその世相
     を反映した生活の中で電報電文(本文)の移り変りを紹介する。
   注 電文は字数により料金が高くなる、故に簡潔で文字を少なくするように努める為
     旧かな遣いを使用した、これも生活の知恵と思われる。
 A  ハハキトク/チチキトク
    チチシス /ハハシス  
    これが電文が案外多く、一番不吉なもので人々は電報と言われたら身震いした。
 B  ベウキワルイスコイ  (病気悪いすぐ来い)
    ケガニウインフリツコイ(怪我入院府立来い) 
      これもAに次いで、ドキッとする電文
 C    エキムカエコイ ニモツトリニコイ 
    ヨウジスグカエレ 
 旅行、出張など、昭和30年代から民心が落着いてきた電文
    D   サクラサク  (合格)
        ハナチル  (不合格) 
             各大学、高校などの合格発表の電文
   E  4カワマツ  四条河原町で待つ   
      シヨウチク6ジコイ 松竹座で6時来い
 デ−トの待合いの電文 
   F   ○オクレ  ○フリコメ 
       親元にカネを無心する金欠病のヤカラがよく利用した。
     ※   現在の生活様式から電話の内容が電報電文であった。
休憩  1. ここで実際のアマチュア無線局が7メガで交信している状況をワッチして
        モ−ルス符号とはこんなものであることを知って貰う実践。
     2. 受講者にたいして実際のモ−ルス符号を打って貰う。
        (電鍵操作で体感して貰う)
11 昭和32年ころから経済成長の先駆け神武景気、岩戸景気に湧き昭和39年東京
    オリンピックを前後に電々公社の10ケ年計画が始り各家庭に電話を敷設工事が
    始り、電報の役目は電話の普及によりその使命の大部分を終える結果になり特殊
    電報の年賀電報、慶弔電報に主役を譲った。
12.1.京都市内ではモ−ルスによる電報の送受信は昭和35年2月で終ると同時に
      電報業務は機械化中継装置により印刷電信(テレタイプ)に移行する。
        2. 昭和51年電報表示システム(コンピュ−タ−化)
13. 20世紀末でモ−ルス通信(国内公衆電報、無線電報)は1999年(平成11
     年2月)すべてのモ−ルス通信は永久にその使命は終焉を迎えた(長崎、銚子無
     線局を最期)    
14. モ−ルス通信を継続して運用している唯一の組織、日本アマチュア無線連盟傘下のアマ
     チュア無線局である。
     来たれ!モ−ルス電信の世界へ!
北野天満宮講習会その2
楽しそうなJE3DYUさんとボーイスカウトの皆さん

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