我家は築50年で部屋数も少なく、常々カミさんや子供たちから「早く何とかしてョ。」と言われてはいたが、クラブの皆さんも先刻ご存知のとおり生来の腰の重さから、なかなか踏ん切りがつかないでいた。そんなある日、第二の事件はおきたのである。「おやじ、近いうちに嫁さんつれてくっれぇ!。」「・・ぉっ、そっか(〜む、部屋がない)しかしおまえ達の住む部屋がな〜ぁ。」「・・・俺もちっとは出すすけ〜さ。」倅やカミさんにケツをはたかれて、ようやく住宅建て替えはスタートしたかにみえた。「ちっと体調がわりぃんだんが、明日病院に行ってくるいや。」と、じいさまが言い出した。じいさまは約半年のあいだ入退院を繰り返した後、春の彼岸に亡くなった。
平成12年の春、じいさまの法事を終えた日「みんな、自分の考えを図にして一週間後おれのところに出してくれ!。」家造りの再スタートである。
「シャックは?オーディオルームは?屋敷が足りない。」と思わず口をついて出る。集まった図面をやっとの思いで一枚にまとめたら、なんと130坪を超える代物になった。
当初の目論みは見事に外れ、自分の部屋が獲れない。とり合えず片隅に【工作室】と書き加えた団子図をもって工務店へ走る。それから幾度となく【工作室】を加えて図面を書き換えてもらい、工務店の専務さんを囲んでの攻防戦である。
2か月目になるある夜、額の汗をハンカチで拭きながら「一世一代の大事業をされるご主人の希望も、一つくらいきいてあげたらどうですか。」「(神様・仏様・専務様)」その【専務様】の一言で、なんとか四畳半の工作室なるものを確保したのであった。
細かなところの手直しや見積りも済み、日程調整をした幾日か後、あの専務さんが図面や契約書類などを抱えてやってきた。
あとは共有者となるカミさんや倅に契約書にサイン(お墨付き)をして貰うだけだ。契約書に無表情を装って署名をし、倅とカミさんの前に差し出した。 (つづく) |