| 2004年5月 第100号
見附クラブの歴史 第二部
JA0KR 小川 利夫
第一部は見附クラブの創世期と、関連する長岡クラブについて記述しました。数人で発足したメンバーも転出や退会等により当初からの会員はひとりになってしまい、小生のメモを頼りにまとめました。今度の第二部は、副題「クラブ報100号の歩み」です。
創刊第1号はS58.7.2ミーテングの席で配られました。(表紙に掲載)
以来今日まで21年間、100号を迎えることができました。当局の会報担当は99.5の74号から。これまで歴代編集に携わっていただいた次の各氏のお陰であり厚くお礼申し上げます。 JA0KOD JA0DRO JH0ANU JA0QLX JH0HZF また、クラブ運営に協力された方や投稿されたクラブ員の皆様に感謝いたします。 第1号時の会員は38局、そのうち現在まで18局。本年の会員数は42局ですから約半数の方は手元に保存されていることと思います。全号を重ねると厚さ6.5センチ、自宅廊下に敷き詰めてみたら長さ3.3メートル幅1.7メートルにもなりました。
最初は手書きからワープロ、更にパソコンとなり、写真は直接コピーからパソコン取り込みと進化。当時、写真のコピーはまっ黒になるためメッシュで覆ったり苦労の連続でした。クラブマークを会員から募集、JA0RCH中野さんの作品に決めて自動車用ステッカーを会員へ頒布。これを会報のタイトルにして、大きさもB5版からA3版二つ折りのA4版としカラー印刷もできる時代となりました。 改めて全号に目を通しあの時はこうだったと懐しくなり、一号あたり二行程度としてもなかなかまとまりません。また、とてもアクティブだった局、転出した局はどうしているか気になるところです。 その他に会報「お知らせ版」も随時発行されました。
これからも見附クラブ報をよろしくお願いします。 なお、巻末に「もうひとつあった会報第1号」を掲載しました。ご覧ください。 最後に「継続は力なり。」No26 89. 6 エンピツ子こと、JH0ANU土田さんの「あとがき」を引用させていただきました。
ところで、見附クラブや自分史の中に刻まれるハムライフのニュースと云ったらどんな事項になるか?と考えて思いついた。ハムライフの歴史に残ったというのは将来その歴史を振り返る人がいて初めて云われるのだと。 だとすれば継続が歴史か。 右は会報100号を廊下に並べたものです。
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