昭和37年3月(1967年)旧糸島郡のアマチュア局とSWLで西福岡アマチュア無線クラブを発足し、4月唐津市の鏡山、唐津城で移動運用、8月には芥屋で野外運用、9月技術講習会、12月9日に第1回総会を前原教育委員会前原出張所で行っています。アマチュア局JA6JU,TW,ACZ,ADG,AOU,ATI,BPB,BQK,BRI,BZD,CGA,CMR,COGの各局とSWLの瀬戸和記(ex JA6CSP)、浜地正幸、森山政巳(ex JA6DNG) 、(故)矢原逸郎(ex JA6DDT)、鎌田博幸(JI6KOO)、小田卓史、浦志保男、佐々木正光、神武昭信(JR6PXA)、木下義喜、清水、大部、高田(ex JH6HAK)、島村、松尾、坂田、青木(敬称略)の名前があります。 昭和39年はJA6ADG水野さん、40年にはJA6ACZ佐々木が会長を務め、アマチュア18局、SWL8局計24局で構成されていました。 この頃は超再生式50MHZトランシーバーが流行しており、能古島で移動運用しています。 ガリ版刷りの機関紙「NFCだより」(佐々木担当)は31号まで発行しています。 当時、板付飛行場近くに米軍基地(現春日市)があり、横流し真空管(4−400、813、6146...)や無線部品がごろごろしていましたが学生の身でお金がなかった。電池管3A5や米軍ジャンクを求めて、赤門堂や大西商会、マルヨ無線、博多金属などを巡り歩いたのがなつかしいです。
最もアクティブな頃で、前原商工祭では会長自作のSSTVやATVの公開運用、クラブ対抗ソフトボール大会、身体障害者施設小富士園慰問、ナイトFOX、JARL福岡支部大会ではFOXハンティングを担当しています。昭和58年には若手のJH6EEA那須さんが会長に就任、クラブ活性化の一環でマラソンコンテストを実施し、JF6HUM大神さんが優勝カップを獲得されました。この年にはJA6AQ岡崎さん(久留米市)が支部長に当選され、志摩会館で開催したZKN総会に来賓として出席されました。 ZKN会員は81名に膨れています。「エリマキとかげ」が流行した昭和59年(1984年)にはJH6MTF橋本さんが会長、毎週金曜22時から145.32MHZでOn air meetingが盛んでした。 昭和60年はJH6CYZ下郡さんが会長、FDコンテスト参加や忘年会を行っています。 諸般の都合で少し活動が停滞しましたが、昭和62年に心機一転JA6PFG三島さんがZKNの再建に立ち上がられました。 従来まで会費を徴収し総会開催や会報発行など義務が生じ役員の負担となっていました。今後、会費を徴収しないかわりに役員を様々な義務から解放しようという試みです。
会長という名称を廃止して世話人代表と世話人数名で運用してみることにしました。 行事も極力減らし、2月〜3月に新年会(総月総会)、8月第1週末のFDコンテスト(野外運用)、秋の技術Meetingを目標としました。 三島世話人代表は 前原町職員前原市役所の OBで、他に数局の現職員ハムもおられクラブの活動もスムースになりました。 夏休みになると前原、二丈、志摩中学校で公開運用を行い生徒や教師にPR、またクラブ主催の4アマ講習会も開催しJA6TW(1技)JH6ELN(2総通)さんが講師をされました。 さらに、JA6XAR青木さんがパル通信を新装開店され、4アマ養成講習会を毎年開催されるようになり上級アマ免許所持者が管理者や講師を勤めました。アマチュア無線専門店が6店舗もあり、一度に50局のハムが誕生する時代でした。平成5年(1993年)前原市が誕生し、1カ月間、市庁舎の「市民サロン」よりJA6RLを運用することができました。 約5000局と交信し、見学にこられた市民の方にはアマチュア無線を、国内各地には前原市(JCC4028)誕生を大いにPRしました。また、アマチュアる社会献を意識して非常通信網作りに取り組み、旧糸島郡各地に移動して145/430/1200MHZの伝播地図を作成しました。この成果は現在の前原市非常放送通信網の構築に役立っています。平成6年(1994年)2月5日寿苑で新年会、26日割烹「たつた」でJA6PY、TDD桑原夫妻の送別会、27日瀬高町で「おもしろハムフェア」、11月20日那珂川町ミリカローデンでJARL福岡支部大会が開催されました。平成7年(1995年)5月14日羽金山で移動運用を行いました。 平成8年(1996年)2月25日「第1回おもしろハムフェア」が瀬高町で開催、4月14,21,28日4アマ養成講習会を伊都文化会館で行いました。