K B C ニ ュ ー ス |
第 26・27 号 ◇ 96関東ARDF競技大会 ◇ ◇ ロールコール1000回記念 ◇ (平成9年1月31日発行) |
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96関東ARDF競技大会感想記 96関東ARDF競技大会総括責任者 JA1BDE(丹澤修治) JE1SPK青柳さん,JQ1LCW山上さんに96関東ARDF競技大会の感想文をお願いしたところ,多忙の中,気持ちよく寄稿いただきKBCニュース(第25号)が発行できたことにお礼を申し上げます。仕事に追われ,総括責任者の私の感想文が遅れたことをお詫びします。青柳さんの文と重複するところも多くあると思いますが,思いつくままに書いてみます。 JN1FNE秋山支部長より,96関東ARDF競技大会を山梨で開催したいが,どうでしょうかとの話があり,集まった役員も大変だがやりましょうと開催決定になりました。(この夜集合した役員が実質的な実行委員になる。) 総括責任者の私としては,はたして開催できるか,不安が90%でした。 @運営,審判で協力者の人数は・・・・ A関東大会にふさわしい会場,施設は・・・・ B運営,審判でARDF競技規則に従って従事した人は・・・・ C運営費は・・・・ その他 考えれば考えるほど不安だらけ・・・。しかし開催と決定した以上,前進するしかないと覚悟を決めた次第です。(その夜のマルシンのビールはほろ苦かった。) それから数回実行委員会を開き,地図,会場候補地は支部長に依頼・・・。 協力してもらうにも審判員の資格を持っている方がFBということで,4月12日に市川大門町公民館で,B級審判員資格習得講習会を開催。参加者は少数だったが,成果は十分にありました。講師は,JE0GTT折井さんでした。その折りに,6月2日に長野県ARD F競技大会があるが審判員として協力してもらえないか・・・とのお話で,実地研修には最高なので,審判員として協力を約束。詳細は後日に連絡とのことでした。6月2日に再会を約束して講習会を終了・・・。 総括責任者の私が何もかも受け持つのは不可能なので,担当部門の責任者を決めました。運営部長JE1SPK青柳さん,審判部長(TX関係)JF1KRV塚原さん,受付ゴールJG1SYM山田さん,スタートJG1EPO田中さん,会場ゴール集計JQ1NXD北村さん・・・・以上のスタッフで大会を乗り切ることとし,各担当部門の人数配置の人選に着手したが,これも案外難しい仕事でした。
秋山支部長より会場の候補地を,2,3下見したので最終決定をして欲しいとの連絡があり,第一候補地の清里へ実行委員全員で下見に行きました。下見の結果,あらゆる条件をクリヤーしたので90パーセント清里に決定ということになりました。 6月号のJARLNEWS誌が発行されると,私の生活パターンが,本業がARDFになり,電気工事は副業のようになってしまいました。速達や書留で来る申込書,電話,FAXでの問い合わせ等で大忙しの日々でした。 6月2日の長野県ARDF競技大会参加で,折井さんと何回となく,TEL,FAXで連絡,打ち合わせ・・・。6月2日秋山支部長を含め,9名で長野県大会の富士見高原へ出発し,現地で担当部門ごとに研修参加し,終了時には各自,自信を持ったようでした。(自費で研修参加,ご苦労様でした。) 申込締切日が過ぎ,いよいよ整理にかかりました。@参加者名簿 A県別参加者名簿 Bクラス別名簿 Cスタート順名簿 を作るのですが,いやはや大変な仕事でした。各名簿の原簿は私が作業,ワープロ,印刷は青柳さんと分担しましたが,毎日TEL,FAX,145.44で連絡,打ち合わせでした。(青柳さんとは時差が3〜4時間あり,急ぎの連絡が取れないこともしばしばあった。) 6月30日に市川大門町公民館にて,最後の総合ミーティングを持ち,TX関係は発信器を動作させての実習研修をし,33名の参加で,これで大会も乗り切れると意を強くしました。私の方はこれからが大変・・・@〜Bの原簿を参照しながら,スタート順の名簿の作成に着手・・・名簿漏れは切腹ものなので慎重の上にも慎重を期しました。 大会日が迫ってくると,JARLのARDF担当の笹原さん,関東地方本部の内山さんとも毎日のようにTEL,FAXにて打ち合わせでした。スタート順の原簿が出来て,ほっとしているところへ,笹原さんよりTELで,下記の方はReg.3オーストラリアのARDFへ15日に出発するので,スタート順を早く頼むとの要請があり,再度作り直し(溜息)。参考に山梨大会からVKへ行った選手は,JR1CHU金重さん,JF1RPZ出田さん,JI1JLV池永さん,JL1はC高橋光枝さん,JQ1LCW山上淑子さんの5名です。 スタート順の原簿が仕上がり,コンピュータ集計係のJA1OMS小田切さんと青柳さんに送付し後は印刷が仕上がるのを待つだけとなりました。7月14日が迫って来ます。名簿の完成が心配で,何回となく青柳さんにTELしました。12日夜24時近くにTELしたら「一家総出で頑張っている・・・・13日朝には届けられる。」との返事でほっとしました。(完成したのは13日朝だったらしい。XYLのJG1BJAさん2ndさん本当にご苦労さんでした。) 7月13日午後,機材を積んで清里へ甲州軍団が出発,清里へ到着後早々に部門ごとに明日の準備に着手し,80パーセント完了し,残りは明日早朝にすることとし,休みました。 いよいよ96関東ARDF競技大会の当日,この日のために努力して来たので何が何でも成功させねばと心に期しました。総ての準備が完了したのは8時30分位か?不備の所はないかと各部を巡回し,審判長の塚原さんには,クレームがついたら私が責任を持って処理するから頑張ってくださいと激励・・・。受付開始・・・当日JARLに入会する人もいて,受付も苦労したと思います。Reg.3VKに行くみなさんが挨拶に見える。ゆっくり話がしたかったが,これは?,あれは?と声がかかりそちらへ飛び出す。 開会式も終わり,第1組がスタート,他県では聞くことの出きない煙火が合図・・・。 JARL山梨もやりますね。煙火師は青柳さんでした。最終組がスタートして,スタート受付係がゴールに移動準備してゴールの選手を待つ。当日は蒸し暑くて選手も汗ビッショリだろうな,高低差があるので上から下へ見つければいいが逆だとばてる選手も選手も出るかもしれないと思っていると,ゴールに来た選手が,ハーハー汗ビショリで,体力がなければできない競技だと痛感しました。12時35分に,競技終了の煙火の打ち上げ・・・清里に煙火が鳴り響く。全員ゴールしたと思っていたところへ,1名ゴールしていないという連絡・・・。その選手のグループに聞いても要領を得ない。最後の手段で捜索隊を編成し,捜索の人選を始めたところへ戻ってきました。帰ってきたとの連絡で,大事にならずによかったよかった。 全員ゴールしたのを確認し表彰式の準備に入る。Reg.3VKへ出発するみなさんから急いでいるのでこれで帰ります・・・と声がかかり,VKでも頑張ってくださいと激励し,JG1BJF一瀬さんに清里駅まで送ってもらう。成績順位を張り出す。一件のクレームもなく,表彰式に入る。午後から天候が悪かったが,表彰式に入ったら雨が降り出し,もう少し待ってほしかったです。表彰式も終わり,片付けを開始・・・。終了後,この大会を支えてくれたJARL山梨のみなさんにお礼の挨拶をして,96関東ARDF競技山梨大会は幕を閉じた。 私の方はまだ一仕事が残っていました。JARLへの結果報告書の提出です。参加者名簿,各クラス別の成績順位表,審判用名簿,決算書です。これも,結構手数がかかりました。JARLの笹原さん,内山さんと打ち合わせをし,結果報告書を提出したのは8月中旬頃だったと思います。これで私の任務も総て終了,疲れがどっとでました。 大会が終わって一週間したら,VKへ行った山上さんから,数日おいて金重さん,池永さん,高橋さんから絵はがきをいただき,「山梨大会ではお世話になりました。みなさんによろしく伝えてください。」とあり,QSPします。 山梨大会では他県の応援も必要なく,60名のスタッフで一件のクレームもなく大成功に終わりました。ご協力くださったJARL山梨のみなさまに心よりお礼を申し上げます。 最後に,実行委員長の秋山支部長,運営責任者JE1SPK青柳さん(XYL,2ndさん),審判長JF1KRV塚原さん,スタート責任者JG1EPO田中さん,受付ゴール責任担当JG1SYM山田さん,会場責任者JQ1NXD北村さん,そして甲府盆地無線倶楽部のみなさん,本当にありがとうございました。 祝! ロールコール1,000回 ロールコール千回に思う JO1JIO( 樋口明雄 ) 甲府盆地無線倶楽部もロールコール千回を数え,一つの区切りがついたという思いがします。しかし,また千回は通過点ではないかとも思います。これから後,何回出来るかは,私たち自身の努力次第ではないでしょうか。 クラブが発足して二十数年になりますが,よく長く続いたものだなーとつくづく感じます。クラブに入部当時は,アクティブに動き,飛び歩いたものでした。でもそれから十数年も過ぎると,足腰が病んでは来るし,第一にずくがなくなってきます。何事も根気というものが必要ですが,なにせ一人では出来ない,やはり数人が集まって一つのことを行ってこそ楽しみもあるし,またやりがいがあるというものです。 クラブのみんなの平均年齢もだんだん高くなり,体力的にも限界かなというところもあるし,長く続けるには,のんびりと気長に和氣あいあいと続けていくのが理想的ではないかと感じます。これからは,できるだけ温泉施設やレジャー施設などの近所で行うのが一番良い方法ではないかと思います。これは私だけの考えでしょうか? ☆☆☆ KBC ARDF競技大会 ☆☆☆ 技術部 JA1BDE( 丹澤修治 ) 技術部では,JARL山梨の行事,会員の都合(当局の都合・・・Hi)等で遅くなりましたが,ARDFを平成8年12月1日に,一宮町の金川原公園で実施しました。 当日は,12月ということもあって,参加局が少なくて残念でした。12月の冷たい風が吹き,寒い中を飛び歩きました。途中からJE1SPK青柳さんも参加しました。 参加局 JE1EBI山本さん JG1CVW堀口さん JG1SYM山田さん JI1VEP松本さん JK1PMB望月さん JK1PMB望月さん JA1BDE丹澤 オブザーバー JE1SPK青柳さん 参加局が少ないのでJG1SYM山田さんが3台,JI1VEP松本さんが2台の発信器を設置しました。 成績順位 1位 JA1BDE 2位 JE1EBI 3位 JK1PMB 4位 JG1CVW オブザーバー JE1SPK 久しぶりにアンテナを振り回して飛び歩きましたが,やはり発信器を見つけ歩く方が楽しかったです。 賞品を手に楽しいARDFを終了しました。 ◆◆◆ 私 と 無 線 ◆◆◆ JQ1NXD( 北村 誠 ) 「CQ,CQ・・・・」今日も短時間ではあるが,雑用を済ませて全国の局長さんに呼びかける,この時間こそ私の楽しい一時であります。 13年前,間もなく退職する日を迎えようとしていた頃,仕事の関係でご交誼をいただいていた秋山支部長より,アマチュア無線の楽しいお話をお聞きし,前々からアマチュア無線には関心を持っていたことも手伝って,「私にも免許が取れるでしょうか。」と相談したのがきっかけで受講のチャンスを得,丹沢・山田OMのご指導とご援助により無事合格し,待望のアマチュア無線技師として,今日まで全国の局長さんと交信し,最高の楽しい退職後の人生を送って来ました。 退職直前になると,職場では盛んに退職後の生活のために何か趣味を持つ事が大切である,退職するまでに努力して趣味を探すようにと,各方面から教えられましたが,なかなか口でいうように簡単に自分に似合った趣味が見出せるものでなく,また,たとえあったとしても,それを簡単に身に付ける事は大変難しい事であり,その点,私は周囲の大勢の人達に助けられ,思いのほか短時間に素晴らしい趣味を得られた事に感謝しているところであります。 今,退職して13年間を振り返るとき,何と素晴らしい人生だったでしょうか,マイクに向かって「CQ,CQ・・・・」と呼びかければ,北は北海道から,南は沖縄,いや,海外の局長さんまで,大勢の方々と楽しいお話ができ,その方々は,若い人,私と同じリタイヤした人,男性や女性と,今まで考えもしなかった人達との交流であります。 私のように退職後の人生を楽しく送るために,こんな素晴らしい趣味を身に付けた幸せな者は数少ないと思い,ニューイヤーパーティー完成記念楯や各種のアワ−ドを私の宝として,来訪される方々にお見せし,退職後の楽しい人生を胸を張ってお話しするとともに,健康に留意し,命ある限り「CQ」を出して,全国の大勢の方々と楽しい一時を過ごしたいと願っております。 §§ 会 員 名 簿 §§ (平成9年1月31日現在 会員16名) □JA1BDE(丹沢) □JG1SYM(山田) □JI1VEP(松本) □JE1EBI(山本) □JK1PMB(望月) □JF1KRV(塚原) □JM1IAX(中沢) □JN1FNE(秋山) □JO1JIO(樋口) □JO1KLC(安達) □JP1MRU(加賀美) □JQ1NXD(北村) □JG1CVW(堀口) □JE1WGB(内藤) □JQ1NWY(山森) □JQ1JXX(尾藤) ◆あとがき◆ ▼ロールコール1,000回!です。会員全員で心から祝福し,今後の益々の発展を誓いあいたいものです。▼本号で,平成8年度のKBCニュースの発行は終了です。広報担当として,皆様のご協力に感謝します。(JF1KRV) |