第38号 KCWA機関紙



38号機関紙



JG3DLX JG3DLXの近況報告
JL3ROS My Favorite Keys
JK3LPN 昭和27年の若き思い日
JA3PUA 4630kHzロールコール受報2
JA3PUA リストラ後の再就職心機一転
JK3KSC ベトナム訪問記2フエ→ホーチミンヘ
JE3LKZ 今年の二つの目標
JE3PQG 私のBCL紹介
JG2ULB 50MHzQRPトランシーバ
JI3CZD ご無沙汰しています
JA3DLM KCWAコンテスト審査に携わって
クラブ便り  事務局
事務局便り  事務局


この冊子にはロールコール参加局と
会員名簿が掲載されています


平成17年2月の第38号機関紙発行に寄せられた原稿





       中路喜博の近況報告

 例年通りなら正月明けから寒くなって一面「雪の原」
の筈だったのですが、今回は正月前から急に寒くなって
いつもより早い雪景色となりました。其れでも幸い風邪
を引く事も無く現在に至っている事は喜ばしい限りです
KCWA会員の皆さん如何御過ごしでしょうか?
 さて本題ですが前回会報原稿提出以来半年が過ぎまし
た。其の後幾つか新しい事が在りましたが、それらに付
いては以下の通りです。

1.恐怖体験(ニアミス)
 年明け早々物騒なタイトルで申し訳ありませんが、昨
年は複数の台風や新潟地震、果てはスマトラ沖大地震で
大いに驚かされました。秋の台風が近畿地方を襲った時
は此方綾部も影響が出て、とても生きた心地がしません
でした。家から直線距離で僅か数百メートルの所で床下
浸水に見舞われる民家が出てしまいました。私が物心つ
いてから随分長い年月を数えてしまいましたが、こんな
事は多分初めてではないかと思います。雨風共に強力で
本気で避難すべきかと考えました。同じ綾部市内では避
難した地域も複数箇所在りましたので。
 一昨年使い慣れたロータリーダイポールアンテナを降
ろして、代わりにロングワイヤ成らぬショートワイヤア
ンテナを設置した事は以前会報原稿として掲載して頂き
ましたが、もしあのまま以前のアンテナを上げたままに
しておいたらと考えるとぞっとしました。夜中に暴風雨
に見舞われましたので、翌朝には御近所の窓に突っ込ん
で被害が出ていた後かも知れませんでしたので。そうな
るとアマチュア無線どころでは在りませんので。開局以
来のアンテナを降ろした時はショックで、此れでもう「
アマチュア無線よ去らば!」かと思いましたが、代わり
に上げたTVアンテナのステー線のようなアンテナでも
何とか使える事が分ってほっとしました。以上恐怖体験
でした。

2.C言語学習の其の後
 前回は日本標準時JSTを国際標準時(?)UTCに
変換するだけの非常にシンプルなプログラムを紹介させ
て頂きましたが、其の後此れをほんの少しだけ改良する
事が出来ましたので報告させて頂きます。あれから少し
ずつ勉強して何とかソースコードを、消したり変更した
り出来るようになって来ました。覚えた事は全部使って
みる事にしました。具体的なソースコードはP4に示し
た「JST_UTC_V7.C変換プログラム」のようになりました
 何れもC言語の入門書の内容をそのまま組み合わせた
だけですが、只単にJSTをUTCに変換するだけでは
なくUTCに変換した時の日付がJSTと同じかどうか
表示出来るようにしておきました。フリーソフトやシェ
アウエアと比べると幼稚なプログラムではありますが、
以前DX局宛のQSLカードを書く時日付の記入ミスを
何度もやってしまいましたのでこの表示機能だけは付け
ておきました。ログソフトを使えばこの様なプログラム
も必要ないかも知れませんが、プログラミング入門用と
しては良いと思います。更にバージョンが7となってい
ますが、此れはプログラミング途中で何度か小さな改良
を加えましたのでこういう事になりました。此れで一応
コマンドプロンプト上において使えるようにはなりまし
たが、一つだけ問題が解決していません。テンキー以外
のキーボード入力を行うとプログラムが暴走してしまい
ました。此れは前回紹介させて頂きましたプログラムも
同様でした。どうも申し訳ありません。
else
	continue;
というソースコードを書き加えても変化ありませんでし
た。こういうのを例外処理というのでしょうか。今後の
課題としたいと思います。
3.更にC言語学習の其の後
 入門書のページをどんどん進めるうちにC言語最難関
と言われるポインタの項目に差し掛かりました。確かに
今までの所よりも難しいとは思いましたが、時間をかけ
ながら何とかシンプルなプログラムを作ってみました。
此れで大丈夫かと考えてコンパイル作業をしてみました
が、何度やってもエラーが無くなりませんでした。彼方
此方ソースコードを書き換えてみましたが、如何しても
旨く動いてくれませんでした。色々調べてみるとアセン
ブリ言語を勉強するとポインタをすんなりと理解できる
ようになると本に書いてありましたので、其の中でも命
令数の特に少ないシンプルな CASL2の解説書を買い込ん
で来て勉強することにしました。一ヶ月程経った頃もう
一度C言語の入門書のポインタのページを開いてみまし
たが、未だ問題解決の糸口すら掴めませんでした。其れ
でも念の為にと、手持ちの「日経ソフトウエア」のバッ
クナンバーを開くと解決法其の物ズバリが掲載されてい
ました。最初から其処を読めば良かったのですが、ほん
の少しだけでもアセンブリ言語学習が出来て良かったと
今は考えています。其れで今は又C言語の入門書に戻り
ました。又何か疑問点が浮かべばアセンブリ言語を調べ
てみようかと考えています。

4.QRPトランシーバキットについて
 一昨年EDCエレクトロデザイン社のQRPトランシ
ーバキットSST(10メガ用)を購入しましたが、途中
まで作りかけてそのままになっていました。折角半田吸
取り線も昨年買い込んで来ましたので、さっさと仕上げ
て次のNORCAL40A(7メガCWトランシーバキット)に進
みたいと思います。出力が2ワット出ますので、今の小
さなアンテナ(以前にも書きましたが、全長僅か5〜6メ
ートルのショートワイヤアンテナです)でも何とか使え
るのではと希望的観測を抱いています。0.5ワット出力
のP-21DX(21メガ用です)でもぎりぎり国内QS
Oに使えましたので。未だ購入していませんので、SS
Tが完成次第通信販売を利用したいと考えています。Q
RP好きはまだまだ続きそうです。NORCAL40AでKCW
Aコンテストに参加してみたいと思いますが、2ワット
出力ではしんどいでしょうか? 昨年も其れまでもずっ
と10ワットで参加していますが、今の小さなアンテナで
も何とか参加だけは出来ましたので。

5.不可思議
 一体何の事かと思われるかもしれませんが、縦振り電
鍵の話です。私は一昨年久しぶりに買いました。ハイモ
ンドのHK-704を購入しました。其れだけならば別
に取り立ててどうと言う事もなかったのですが、ハムシ
ョップで聞いた話ではハイモンドは電鍵の製造を中止し
てしまったので今買わないと手に入らなくなると言う事
でした。確かに飛ぶように売れる物ではないので、そろ
そろそういう事も考えられるとは思いました。其の為其
の時は納得して帰路に着きました。其れは其れで良かっ
たのですが、其の後何度其の店に行ってもハイモンドの
製品が無くなる事はありませんでした。更には「CQ 
ham radio」誌上においても未だ同社の製品を扱ってい
る業者の広告が毎月のように掲載されています? 只単
に在庫が残っているだけなのでしょうか別に拘らなくて
も良いとは思いますが、気にはなります。

6.絶句
 とうとう「CQ ham radio」誌上からミズホ通信の広告
が消えてしまいました。偶然掲載されていなかっただけ
かも知れません。隔月掲載なのかも知れませんが、新製
品を心待ちにしていた私としては残念で仕方ありません
もしかするとインターネット上においてホームページの
形で情報発信されているのでしょうか?
接続環境を持っていない私としては確認のしようがあり
ません。無線雑誌の数其の物が少なくなってきた上に広
告まで減ってしまうのは何とも寂しい限りです。又以前
のように広告ページがぎっしり増えて重いぐらいの「
CQ ham radio」を見てみたいものです。
 以上又取り留めの無い文章になってしまいましたが、
KCWA会員の皆さん今年も宜しく御願いします。
                                          DE JG3DLX

/*************************************************
************************
		JST・UTC変換プログラム
**************************************************
***********************/
#include  				/*  
JST_UTC_V7.C  */
void	kekkahyouji(void);			/*結果を表示す
る関数*/
/*変数の定義*/
int		j = 0;				/*日本標準時JST*/
int		u;				/*国際標準時UTC*/
int		i;				/*添え字*/
char	d[2][7] = {"の前日","と同じ"};		/*JS
TとUTCとの関係*/
void main( ){
	/*該当するJSTの入力*/
	while	(1)	{
		printf("該当するJST(0から23の整数)を
入力して下さい。\n");
		printf("24を入力するとプログラムを終了しま
す。\n");
		scanf("%d", &j);
		/*0時から8時までの処理*/
		if (j >= 0 && j < 9) {
			u = j + 15;
			i = 0;
			kekkahyouji( );
			continue;
		}
		/*9時から23時までの処理*/
		else if (j >= 9 && j < 24) {
			u = j - 9;
			i = 1;
			kekkahyouji( );
			continue;
		}
	/*24より大きい数値を入力した時の処理*/
		else if (j > 24) {
			continue;
		}
	/*プログラムの終了処理*/	
		else if (j == 24){
			break;
		}
	}
}
/*************************************************
************************
		結果を表示する関数 
**************************************************
***********************/
void	kekkahyouji( ){
		printf("JST %d  時は UTC %d  時で
す。 \n",j,u);
		printf("日付は、JST表示の場合  %s  です
\n",d[i]);
		printf("\n");
}




               My Favorite Keys

1.1月16日の日記
 皆さん、お久しぶりです、今年もよろしくお願いいた
します。
 今日は、朝から大規模震災を想定した防災訓練が加茂
川の河川敷で行われ参加してきました。我々東山の消防
団員
120名余りが集結しました。日差しはあったのですが
川面を渡る風は非常に冷たく、その上、放水の飛沫を浴
び冷え切ったまま昼過ぎに帰ってきました。
 以下に私が愛用するキーについて思い出を綴ってみま
した。

2.私の愛用するキーの紹介
JL3ROS局の愛用電鍵
JL3ROS局のKEY Colections

@ハイモンドHK−808
 今から20年程前、京洛無線で『一生ものですヨ』と
勧められ初めて買った電鍵です。固い感触ですが精密感
あふれる電鍵で、その後縦振れはこのキーをずっと使っ
てきました。
2年ほど前、Tさんから甲種単流電鍵を譲ってもらっ
て以来、他の電鍵にも興味がわき、いろいろ縦振れ電鍵
が増えてきて、このHK−808の出番も少なくなってき
ましたが、たまに使うと改めてこのキーの優秀さを実感
します。

AハイモンドHK−3
 永らく漁船で使われていたというこの電鍵が、高知の
人からオークションに出品されていました。終了間際に
なっても電鍵が可哀そうなほどの価格でしたので、思わ
ず落札してしまいました。届いたキーは、かなり汚れて
いてサビもありましたが、磨くと結構きれいになり、支
点のグリスを新しくすると快調に作動するようになりま
した。以前、移動運用の時、Iさんが持ってきておら
れたのを見て以来、気になっていた電鍵でした。
HK−1Zほどではありませんが接点の面積が大きく滑
らかな打ち味で、ゆったりとラグチューを楽しむのに使
っています。

BSwedish Key
 スウェーデン ラナートパターソン社製で、KCWA
のロゴにある電鍵の図もこのキーだと思います。接点が
奥にあり板状のバネが使われていて、しなるような感じ
で非常に柔らかい打ち味です。ただ、バネの強さと接点
間隔はデリケートな調整が必要です。いかにもハンドメ
イドという雰囲気で気に入っています。

C加地通信機研究所製 MK−8型
 古い物ですが、たっぷりとしたメッキで今もピカピカ
です。作りも上質で打ち易い電鍵です。ある電鍵サイト
に『船舶用の電鍵で、主に通信学校の斡旋で販売されて
いたので通信士の方には懐かしい電鍵だと思います』と
ありました。Nさんも使われていたのでしょうか?
勝手に想像して楽しんでいます。

DJRC KY−3A
 これはTさんからいただいた電鍵です。説明の必要
もないほどのキーですが、ハギレの良い信号が打てるす
ばらしい電鍵だと思います。初めはJRCのプロ用通信
機器に付属品として付いていた電鍵だったそうです。が
後に電鍵の評判が高まり単体ででも販売されるようにな
ったようです。良い時代だったんですね。
 経年変化でくすんだネズミ色をしていたのですが、少
し磨くだけで鈍い銀色の輝きを取り戻してきました。よ
ほど良い材質で造られているのでしょう。これは大切に
使わなければと思っています。

Eハイモンド HK−802
 Swedishキーと同じ仕組みで、奥に接点のある
縦振れ電鍵です。こちらの方がかなり大柄で真鍮の本体
に木製の台座の美しい電鍵です。バネはピアノ線のよう
な細い鋼線を昆虫の羽根のような形状に折り曲げた物が
使われています。打つとこのバネに共振するのかビーン
という感触があり、打鍵の衝撃を電鍵自身が吸収してし
まう感じがします。よく出来た電鍵だと思いますが、な
かなか言う事を聞いてくれません。相手を選ぶようです

FCTI−CR電鍵
 東欧の工房で造られている電鍵だそうです。65×3
3oのミニチュア電鍵です。
 きれいクロームメッキのキーで小さな木製のつまみが
付いています。見かけによらず、しっかりとした信号が
打てます。滑り止めに脚部に木工用の接着剤を薄く塗り
皮膜を作りました。これが正解であちこち動かなくなり
打ちやすくなりました。しっかりとした台があれば移動
運用にも充分使えそうです。

Gそれぞれの特徴について
 これらの縦振れ電鍵は、ここ1〜2年の間に私のとこ
ろに来たものばかりです。気分により電鍵を替え、それ
ぞれの打ち味を試しながら交信を楽しんでいます。
 でも単なる交信の道具にすぎない電鍵に、このように
こだわり、面白がってばかりいるせいか一向に上達しま
せん。
Hi Hi
 上記の縦振れ電鍵でもショップで新品で買えるものは
ほとんどないと思いますし、ネットのオークションでも
稀少な電鍵は、異常と思えるほどの高値を呼びますが、
コレクションの対象としてのみ取引されているようで寂
しい限りです。
 昨年5月、KCWAのロールコールのキー局を担当し
た時も毎週、電鍵を取替えその旨ホームページへの書き
込みもしたのですが参加各局にはほとんど関心がなかっ
たようです。
 縦振れ電鍵の復権など、もう望むべくもないと思いま
すが今後もこれらのキーで交信を楽しもうと思っていま
す。
                                 DE JL3ROS





  昭和27年の若かりし頃の思い出話(FAX)


 VHFの140MHz帯が始めて銀行に許可された当時の
通信手段としてFAXがありました。原稿をドラムに巻
いて、B5版を5分程で送受信出来る程度のものでした
が、漢字や書いた人の文章がそのまま送れるものとして
大変重宝でした。例えば、人事異動の職制表や為替や同
姓、同名、異人、文字、イラスト等間違いなく送れます。勿
論ページ式のテレタイプも使っていましたが、上記理由
で、主に東京−大阪間の為替の送受信に使用していまし
た。
 東京−大阪間の専用電話を当時の電々公社から借り、
1800Hz以下を電話に、2300Hzを信号用に、FAXは
2500Hzで変調しました。当時はフイルターも全てLや
Cを使ったπ型やH型のもので、機械的にも、大きく立
派なラックに取り付けて在りました。
 機械は光電管式、ペン型の螺子(ネジ)付きで光をド
ラムに当て、反射光を光電管で受け、それをAM(
Amplitude Modulation)で変調増幅後、USB(Uper 
Side Band)を取り出し是を増幅、スライサーで頭を揃
え、2500Hzの位相変調(Phase  Modulation )にかけ
て、線路に送出しました。
 同期方式は独立同期で、当時は音叉(チューニングフ
オーク)を恒温槽に入れ、必要な周波数やモーターの回
転に使用しました。測定器はオシロスコープ、オーディ
オオシレーターとテスターで東方電気製(後に松下に吸
収合併)でした。
 調整時レンズの絞りなどは、煙草の煙を吹きかけなが
らやると大変やりやすかったのを記憶して居ります。
 未だ発信用として、ロッシェル塩や水晶等のない頃の
話しです。水晶といえば、服部の馬鹿でかい腕時計を定
年(昭和49年)の時に夫婦ペアーで貰ったのを思い出し
ました。
 雑音の多い当時の電話回線の利用方法としては、位相
変調PM MODなど良く考えてあると想いました。又
当時のテレタイプ リボンテープの鑽孔や送信方式など
初期のコンピユーターの理解に期する処が多かったと今
もそう思って居ります。年寄りのまとまりの無い駄文で
すみませんでした。_(_^_)_
 「昔はこうだったんだなーー」と、思って頂ければ、
有り難いことです。
                                 DE JK3LPN





4630kHzロールコール受信報告2

1.4630ロールコールにチェックインするには
 4630KHzの目的は非常無線通信の訓練、実践で
す。ここは3.5MHzアンテナがあれば高感度でワッ
チ出来ます。ニューカマーはロ-ルコ-ルにチェックイン出来ません
この周波数の電波伝搬状態は1年を通じて良好に日本全
国をカバー出来る周波数です。

2.某月某日ロールコールのキー局の紹介
 ロールコールは毎月第一日曜日 8:30より、平日
は9:00〜,20:00〜行われています。周波数4
630kHzです。受信は捜す必用がないので楽に出来
ます。
1エリアJL1CQL /2 JA2RE /3 JE3EKN
/4 JA4MCI /5 JA5BVW /6 JA6QK
/7 JH7GHW /8 JA8ICG /9 JA9AWG
/10 JA0ADI /統括 ハムネット会長 JA2OL

3.通信内容
@非常通信/非常の場合の通信方法(呼出し)
OSO OSO OSO DE J△▲☆◎▽ J△▲☆◎▽ J△▲
☆◎▽ K
A非常通信の訓練(呼出し)
クンレン クンレン クンレン OSO OSO OSO DE 
J△▲☆◎▽ DE J△▲☆◎▽ J△▲☆◎▽ K
B通信方法 
 @ハムネット会長JA2OL氏がロ−ルコ−ルの統括
的な指導の基で同周波数を長時間占有しておられます。
A全国の良心的紳士的なハム仲間の間では違法行為であ
ると結論づけられています。
B4630愛好者のハムネット各局の頑な態度と、法の
趣旨に背く通信方法は本来の目的から逸脱した運用方法
であり、期待と信頼を裏切られ愛想をつかして自然的に
離反された局が少なくありません。こんな話題が風の便
りで聞かれる昨今です。

4.4630kHzの歴史
 1995年1月17日の阪神大震災以来、国や地方自
治体が防災活動に本腰を入れるようになりました。各自
治体から阪神大震災の教訓から地域防災計画にハムの参
画を要請されてきました。
 JARL京都府支部にも当時は4630の導入と普及
発展のために京都府の防災訓練にはA1を使うように進
言しました。1998年3月の京都府支部大会で、この
旨を理解して頂き京都府と折衝してくれましたが、相手
である陸上、海上自衛隊、市役所の担当者には和文の出
来る人が居ない! そのため実施不可能になった経緯が
あります。結果的に携帯電話が通信班の主役を勤める事
になったのです。これが今風に言う「トレンド」という
のでしょうね。
 ただ電波法では非常無線通信波として活きており、昭
和28年〜昭和39年時代の災害対策基本法の条文です
当時の電気通信技術の発展に呼応し、社会情勢を考慮に
いれた当時の規則です。しかし、建設省が防災全国ネッ
トを構築した昭和42年以降は、4630は死文化とな
っています。一度決めた法令を変更することは変更の手
続きがいるので大変なことです。問題が発生していない
以上、避けて通った方が無難なのでしょう。CQ誌を持
っておられましたら1996年4月号P149〜150
を見て下さい。
5.これからの4630kHzはどうなるのか?
 自治体の防災訓練では、HF帯A1Aを使って防災無
線電報の送受をする自治体は全国的にも存在しません。
現在では非常無線通信は携帯電話が主流です。ましてト
ンツ−方式を説明しても理解できない市役所、役場、陸
上、海上自衛隊などの防災担当者は全く関心がありませ
ん。時代は携帯電話の爆発的な普及へと変わってきまし
た。不特定多数に一括して送信する時代から各個人のも
つ端末である携帯同士の通信へと大きく変わりました。
1994〜
 2000年位でその使命は終わったと感じます。した
がって4630の出番は先ずありません、これが21世
紀の4630の現状です。
 遊ばすのはもったいないと言う理由で、アマチュアが
その普及に某氏が宣伝して居るのが実態です。良く言え
ばバンド防衛のために使っているようなものです。しか
し普通の人が使えない周波数は意味がありませんが?
 総じて4630は一般的なロ−ルコ−ルとしては、意
味がありません。ただ特権階級の和文ラグチュ−してい
るだけのものではないでしょうか?
 台風23号、新潟地震でどれだけ役に立ったのかその
成果はいかに? 答えが全てです。皆さんのご意見は?
だから4630は、関係機関は無知、関心なし、認識不
足で手の打ちようがありません。出番は今後もないでし
ょう!            DE JA3PUA



            リストラ後の再就職で心機一転


1.もうすぐ会長職1年目につき評価
 もうすぐ1年目ですが、振り返ってみて、全く何もし
ていない状態でした。事務局が日常業務をして下さるお
かげで、会長職はシンボルのような存在です。天皇陛下
のような感じです。「よきにはからえ」と言ってればい
いのです。(*^_^*)
本当は行事が上期に殆ど無かったからですね。( -_- ; 
) 仕事らしいことをしたのは機関誌を徹夜して一日で
仕上げたこと位しか記憶にありません。色々と問題があ
りましたが、記事の内容が良かったことで、編集技量は
目立たなかった感じです。私の出る場面無しでした。記
事さえ集まれば完成ですから誰がやっても同じことです
(*^_^*)
 今回で「所信表明の目標達成」かどうかの時期となり
ました。昨年度の記事の件数を集計しますと7+7=1
4件。本年度の記事の件数は12+11=23件。昨年
度比+9≧3件で目標達成です。皆さん気にして記事を
投稿頂いた成果です。(^_^) 記事を送って頂いた方に
熱烈感謝します。これだけ増えるとは思ってもいません
でした。(^o^)
 ロールコールの総チェックイン局数の方は、398→
484局 +114≧2 1回当たりのチェックイン局
数は7.4→9.3局/1回 +1.9の結果が出まし
た。素晴らしい、信じられない結果ですね。計算の間違
いではないかと再計算しました。無線離れの中減衰は無
いようで一安心です。(-_-;)
 これで来期の会長職の継続は確実な結果となりました
でも新旧の交代が急務ですので、やりたい方がありまし
たら何時でも引き下がります。会長職立候補を期待して
います。


2.和泉市国華園へ園芸の買い出し
 園芸通信販売の代表店の国華園へ一度は行ってみたい
との願望で今回訪問してきました。河内長野に近い所ま
での遠出となりました。ロールコールでおなじみの
JH3FFJさんの近くです。電波だと近いのですが車で
の移動となると大変なことです。亀岡市から約2時間か
かりました。久々に車のQRMの中に突入しました。カ
ーナビが役に立ち助かりました。おかげで道に迷うこと
なく帰ってきました。
 菊花展も同時開催されていましたので鑑賞もしてきま
した。お見事の一言です。枚方菊人形の比ではない規模
にびっくりです。私の父も展示用の菊を育てています。
手塩にかけた菊を見て感激です。ここの店は川と山に囲
まれて迷路のような所でややこしい場所でした。今まで
見た店の中で一番綺麗ではない感じでした。土を扱って
いる関係で床や机が埃、泥だらけでした。(>_<)
 
3.母の他界
 ついに93才で他界しました。東京在京中は帰れるか
どうか心配でしたが、ちょうど帰ってから1年半で他界
しました。「やっと行ってくれたか」という感じです。
これで安心して長期旅行が出来る喜びが出てきました。
来年度は会長職をやりたい人が現れたらバトンタッチし
て長期海外旅行でもしようかと考えています。幸い母が
太田遺産 (*^_^*) を残してくれましたので2−3回は
行けそうです。

4.京都寺町電気街散策
 8年ぶりに寺町に行ってきました。車を御池駐車場に
預けてゆっくりと見物してきました。燕堂が無くなって
いました。無線を扱っている店がなかったようです。(^
_^) この辺では
日栄無線しかないのかな? ここでも無線離れが加速し
ている感じです。私の同級生、先輩がここ燕堂に就職し
ていたのですが、今頃どうしているのでしょうね? 永
久就職は遠い昔の言葉になりましたね。一昔前は職を変
わると根気がない、根性がない、お尻が軽い…で良いイ
メージが無かったのですが、今はそんなことを行ってい
る御時勢ではないですね。私もその中の一人です。
 京都の電気街も秋葉原に少しは近くなってきた感じで
す。パソコンを扱っている専門店が3店出来ていました
京都では飽き足らないので某氏と大阪日本橋を荒らしに
行くことにしました。

5.Yahoo オークション売りに参加
 6件売りに出し5件成立しました。予想以上の反響に
びっくりしました。でも売れないものは売れないという
感じですね。人気のある中に出すか、それを飛び越して
コレクター目当てに出すかどちらかですね。無線機のフ
ァンが少なくなった感じですね。買っても使わないもの
を買う人は少ないですね。パソコン関係がすごい人気が
ありますね。

6.紅葉の名所「香嵐渓」を訪ねて
 愛知県東加茂郡足助町にある香嵐渓をツアーで参加し
てきました。真っ赤な紅葉、太陽に当たって輝く紅葉を
見てきて感激です。嵐山にいるようでした。京都風に言
えば、保津川→巳川、岩田山→飯盛山、渡月橋→待月橋
といった感じです。鉄道がないので車の渋滞がすごかっ
たです。空いている時は20分でいける所が約2時間も
かかりました。
 ( -_ - ; ) 車の渋滞を見に行ったともいえます。鉄
道の重要性を感じました。駐車場も満車でバスは一旦道
路へ出ての待機状態です。又人間の洪水でガードマンが
「立ち止まらないで下さい!」とハンドマイクでがなり
立てています。橋の上からの絶景を写したかったのです
が、団子状態で渡るだけです。紅葉のもみじの一番綺麗
な葉を持って帰りました。ここへはもう一度朝早く人間
の少ない時に再訪問したいです。
 
7.リストラ後の再就職で心機一転
 第二の職場で頑張っています。夜勤がありますのでロ
ールコールに出られない日があるのが玉に瑕です。しか
し夜勤明けで寝ずに遊べるのが嬉しいですね。平日に映
画やゴルフ、散髪等空いていて助かります。年と共に記
憶力が低下していますので仕事を覚えるのが大変です。
叱咤有り、激励無しの中何とか首の皮一枚で繋がってい
る状態です。何とか、しがみついてジパングに漂着する
間食い繋いで行きます。
 
                             DE JA3PUA
 



ベトナム訪問記U(フエからホーチミンへ)

4月23日(金)
 昨日は期待と不安と少しの緊張感の中でのチャイルド
の家庭と小学校の慰問で少し疲れ気味、目が覚めている
のになかなか起きあがれない。
旅は6日目、疲れが出ても当たり前である。今日から旅
の後半。そして、気楽な観光のみ。荷物も中型トランク
1個となり移動が随分楽になった。
 今日の予定は「ベトナムの京都」といわれる歴史都市
のフエ市内観光。気楽に気の向くまま、体の動くままで
行こう。こんなことを考えているうちに体の中にエネル
ギーが沸いて心身ともに醒めてきた。ホテルのチェック
インは昨夜だったので外の風景はわからない。リバーサ
イドの部屋を予約したので景色が楽しみだ。
 下着のままなのでカーテンの隙間から顔だけ出して外
を覗く。眼下は大きな川、対岸を往復するフェリー、流
れに沿って行き交う高速通船、沈没しそうなくらい荷物
を満載したハシケ、船が通過する度に木の葉のように揺
れる小舟の端を懸命に片手で支えながら漁をする男、精
一杯の思いをこめて飾り付けをした数隻の観光船がホテ
ル裏の桟橋で客待ちしている。朝の川はラッシュアワー
を迎えているようだ。いくら見ていても厭きない。川の
名前はフーン川。対岸は旧市内。よく見ると木立に埋れ
るように低い民家が並んでいる。300メートル位の川
幅を挟んでこちら側は近代的なホテル群。対岸の人たち
は私たち観光客をどの様に見ているのだろうか。昨日慰
問したゾーミー村の貧しくとも懸命に生活しているダッ
トちゃん一家を思い出した。
 朝食はお決まりのバイキング。今日の昼食、夕食は多
分ベトナム料理になりそうなのでパン食にする。ベトナ
ムはかってフランス植民地であった歴史からパンは実に
旨い。ジャム、バターもヨーロッパ産。しかし美味しい
牛乳にめぐりあったことがないのが残念。観光の出発時
間を決めてないので、ゆっくりした朝をくつろぐ。
 水の都とも言われるフエ市。観光船で社寺仏閣めぐり
ベトナムは中国文化を受けた国です。観光船は大きな竜
を船首に飾り、原色に彩たてられた20人乗りくらいの
小船。スマートさは程遠いが陽気で楽しそうな観光船で
す。
 ホテル裏の桟橋を出発。乗客は妻と二人だけ。船内は
意外に広い。しばらくして、対岸にフエ市のシンボルで
高さ37mのフラッグタワーが際立って見えてくる。こ
のタワーは約200年前ベトナムを統一した最初の皇帝
ザー・ロン帝期に中国の紫禁城を模して造られた王宮の
国旗掲揚塔として建造されたものです。以後、戦火に見
舞われ、建造と崩壊を繰り返し、現在のものは1949
年再建されたもので、あのベトナム戦争のときは
24日間、解放軍の旗が揚がったときもあったとか。そ
して、現在まで一日たりとも途切れることなく国旗を翻
しているとのことです。
 灼熱の太陽の下、ガイドさんの説明も殆ど耳に入らな
い。集中力も限りなくゼロに近い。唯、連れられて回っ
ているだけである。全体の印象として社寺仏閣、遺跡等
はかなり小規模で、日本の半分以下のように見えた。国
力の違いが見えてくるようです。そして、ベトナムの紫
禁城と言われた阮朝王宮は戦火で崩壊したままで、今は
建物跡のみ。訪れる観光客も殆どなく、没落の静寂と寂
しさを感じました。
 ベトナムの首都は此処フエが最初でしたが戦火で崩壊
し、代わって南部の発展でホーチミン市(旧サイゴン市
)に首都が移り長期間続きました。そして、ベトナム戦
争以降はハノイ市(ベトナム北部)となっております。
フエ市は「ベトナムの京都」と前述しましたが、風光明
媚な美しい歴史都市で、ツアーではホーチミンに次いで
フエ市が観光客の多いところです。
 芸能では世界でも珍しい水上人形劇があり、観劇しま
した。10m四方位のプールがステージです、プールの
奥はカーテンで仕切られ、客席からは見えません。その
中で竿らしき長い棒の先に取り付けられた人形を操るも
ので、竿は水中に潜らせてステージの方に見えないよう
にせり出し、人形だけを水面上に浮かして操ります。手
足はもちろん口も動き、スピード感もありました。その
外、水中に仕掛けられた装置や大道具もストーリに合わ
せて移動したり出没したり、ストーリより人形のからく
りに気をとられてしまいました。そして、プールの左右
に配置された楽団と歌が観客とステージを盛り上げ、つ
い引き込まれてしまい、ひと時の旅の癒しとなりました

4月24日(土)
 今朝も窓外の明るさと騒音で目が覚める。川は昨日と
同じ風景とである。土曜日であっても人の動きは変わら
ない。今日は12時間の列車の旅である。小さな心配事が
ひとつ、それは、長時間の列車の旅なので定員4人のコ
ンパーメントルームの全席買い取り予約が出来ているか
である。少し贅沢だが他人に気を使わずくつろぎたかっ
たからです。
 前中はホテルライフを楽しみながら正午前に駅に向か
う。駅に着くと一昨日のゾーミー村訪問時の通訳嬢のチ
ーランさん(Thi Chi Lan)とドライバーの奥さんが見
送りに来てくれていた。見送りに来てくれたと思うのは
こちらの勝手な解釈で、実は一昨日チャーターした車代
とドライバーの日当と、チーランさんの通訳料を未だ支
払っていなかったのです。意図的に払わなかった訳では
ないのだが、ダット君一家と小学校の慰問を無事終え、
スタッフと会食をした後、気の緩みもでて、つい支払い
を忘れてしまったのが原因で、その上、相手も特に請求
をしなかったので、そのままになってしまったのです。
これはあくまで私的な感情ですがベトナム以外の国では
考えられないことと思います。通常では支払いは前金で
ありますが、今回は事後にも支払わず、私の宿泊先も判
っているのに集金に来ず、二日後のこの地を離れる直前
に見送りを兼ねて来てくれるとは意外でした。こんな一
面が私のベトナム人を好きにさせた所以である。日本人
と何処か共通したものがあるような気がしてなりません
参考までに支払いはドライバーの日当を含めて中型ベン
ツのチャーター料は12時間で約4,000円、同じく通訳嬢
へは2,000円でした。日当と同じ2000円のチップ弾んで
も、思ったより安くつきました。やはり、ここはベトナ
ム、安いのが有難い。
 チーラン通訳嬢は持ちきれないくらいの大きな袋に詰
めたマンゴ、パパイヤ、マンゴスチンなどなど、「汽車
の中で食べてください」と、袋ごとくれる。食べ方がわ
からない果物も入っている。遠慮なくお礼を言って頂い
た。
 列車は12:20分発のE1特急。もう時刻は10分を過ぎ
ている。汽車は遅れているらしい。狭い待合室は200人
位が肩を触れ合うくらいの混雑。半分以上が見送りの人
のようだ。誰も時間など気にしている様子がない。やは
りここは南国、定刻からもう30分を過ぎていた。でも、
待合客は同じ表情。寧ろ、言葉が解らない私には、これ
から始まる旅を楽しんでいるように見える。
 通訳のチーラン嬢が一組の日本人らしい若いカップル
を見つけた。見ると旅なれた様子にみえる。時間を持て
余したこともあって、カップルに近づき「どちらに行か
れますか?」と日本語で聞いてみた、「こんにちは」の
返事が返ってきた。やはり日本人だった。ホッとする。
聞いたところでは、彼らは待合室に入ったとき、直ぐ私
たちを見付けて意識していたらしい。どこから見ても、
私たちは野暮ったい日本人の老夫婦に見えたのだろう。
カップルは一昼夜かけてホーチミン市へ行くという。彼
らは今回の旅行を目的に日本で知り合い旅に出たとか。
夫婦でもなく、恋人同士でもなく、唯、純粋に「旅」を
目的に出来たカップルらしい、一人旅より二人の方が何
かにつけ都合が良いとの事。20世紀で人生の盛りを終
えた野暮爺には頭で理解できても自分の娘や息子に置き
換えて考えるとどうしてもこのカップリングは理解でき
ない。余談ですが夜はどんな過ごし方をしているのか、
少し気になる。
 定刻より50分位過ぎたころに、又アナウンスがあり
間もなく列車が来るらしい。誰も文句を言ったり、怒っ
たりしない。実にのんびりしたものだ。
 改札を出たらすぐそこはプラットホーム。ホームと線
路とは同じ高さである。ホームを挟んで線路と反対側に
は露店が祭りの夜店のように連ねている。殆ど一列車分
だけ店は軒を並べている。みやげ物屋、弁当を売る店、
飲み物、衣類、雑貨、などなど、列車は10分位停車す
るので、乗客も下車し、ホームはちょっとした市場であ
る。
 通訳嬢と汽車の窓を開けながら明るい別れを惜しむ。
「明るい別れ」と書いたのは、彼女は7月に政府の推薦
で日本への2ヶ月間の留学が決まったとのこと。カリキ
ュラムには京都旅行もあり、再会を約束していたので、
互いに今日の別れは一時的なものであったのでした。
 ジーゼル機関車が15輌の客車を繋いで走る懐かしい汽
車である。緩やかに滑るように動き出す。なかなかスピ
ードが出ない。継ぎ目のあるレールを走るリズミカルな
音、昔を思い出す汽車の旅は捨てたものではない。予約
のコンパーメントルームに入る。50歳くらいのおばさ
ん車掌、一部屋買い取りの4枚の切符を見せると持って
いってしまった。通路に出ると先ほどの二人の若者が二
部屋向こうにいた。駅に来てから切符を買ったので4人
部屋の上段のしか買えなかったとのこと。ベトナムの寝
台特急は昼でもベットはそのままになっており、上段の
者はいつも伏しているか頭が天井に当たらないように背
中を丸めていなければならない。下段の人に話をして座
らせてもらえば別だが。
 発車後、間もなく弁当が配られた。弁当箱は青色の丈
夫なプラスチック製。何回も洗い使いを繰り返したらし
く、相当傷がついている。お世辞にも清潔とはいえない
片方の箱には白米、もうひとつには野菜炒めにベーコン
らしきもの二切れとスープだけ。視覚に訴えても、味に
頼っても、食欲が出ない。やっと3分の1ほど食べた。
それから、しばらくして、例のカップルを呼んで4人で
食後のフルーツパーテイに花を咲かせる。実に旨い。改
めて夫々自己紹介。
 カップルは横浜、東京に住んでいるとのこと。カンボ
ジアに興味があり、今回の旅行に行くためだけでカップ
ルになったらしい。ところがカンボジアの治安が予想よ
りはるかに悪く、途中から治安のよいベトナムに変更し
たとのことでした。ただ出発前と後の二人の関係がどう
しても気になり聞きたくなる。二人の言い分は恋愛関係
にないので男女の意識を超え、寧ろお互いに遠慮、気配
りが抵抗なしに出来、費用も相手に甘えや余分な期待を
することなく割り切れるから、問題ないとの事。そして
どうしても気になる夜の二人の過ごし方は最後までカー
テンの向こうの話に終止し、こちらの想像の域を出るこ
とが出来ませんでした。残念。でも、爽やかな若者に出
会えて楽しい旅の1ページを埋めることが出来ました。
 車窓は農業国らしく何処まで行っても稲田が続く。刈
り入れをしている隣で田植えをしている。子供が牛で耕
している田んぼがあれば青田が風に靡いている。特急列
車といっても400キロを12時間で走る国土縦貫列車。
スピードは鈍行列車並み? 唯、停車駅は2駅のみ。次
の停車駅は6時間後だそうです。三つ目の駅が目的のニ
ャチャン駅で12時間後。計算してみると35〜40キロ位の
スピード。お陰さまで車窓を流れる景色を充分楽しめま
した。
 約50分遅れの22:50分、ベトナム随一で最も美しいリ
ゾート地のニャチャン着。小さい田舎の駅だ。下車する
者は10人ぐらいだろうか。下車して駅舎を通らずに、迎
えのホテルの女性従業員に促されるまま駐車場の方にい
く。舗装がガタガタ。トランクのキャスターがうまく転
がらない。到着前におばさん車掌さんから返してもらっ
た切符を迎えの女性従業員はくれと言う。理由不明。此
処ニャチャンに訪れる客はドイツ人フランス人、3番目
が日本人とのこと。滞在期間も日本人は一日単位。ドイ
ツ、フランス人は週単位で永い人は一ヶ月以上も滞在す
るとか。ホテル着は12時を過ぎていた。大きな樹木の茂
った庭をジグザグに歩き埋れるように点在するコテージ
に着いた。

4月25日(日)
 今日もまたベトナム晴れ。朝8時窓を開けると熱帯特
有の生暖い風が入ってくる。
でも、久しぶりに潮の香りも懐かしい。潮の匂いに誘わ
れるままに2〜3分歩いてビーチに出る。
真っ白い砂浜が延々と続いている。近代的ホテル群。ベ
トナム人には失礼だが何処か地中海のビーチに来たよう
だ。
 今日は夕方のホーチミンへのフライトのみ。昨日汽車
の弁当のみであまり食べていなかったので、朝食は楽し
みだ。幸いにこのホテルはANAの経営。味噌汁、納豆、
海苔、漬物など和風も充実、美味しいフランスパンもフ
ルーツも満喫、朝から三日分を食べたような気分でした
ラウンジで見る一日遅れの日本の新聞も新鮮でした。
 退屈しのぎに市内見物に出かけることにした。妻と2
台のシクロ(人力輪タク)をチャーターし街を散策。炎
天下のシクロは暑い。途中でノン・ラー(ベトナム式す
げ笠)を買い日除けにする。このすげ笠は軽くて、頭皮
に密着しないので風通しがよく実に涼しい。
 ニャチャンはフランスが開発したリゾート地とか。町
並みは何処か西洋風な雰囲気を感じさせる。小高い丘に
ニャチャン大聖堂がある。丘そのものが聖地であり、教
会に続く坂道には聖書に出てくるらしい聖人たちの像が
並んでいた。観光客や信者の姿はどこにも見当たらない
人気(ひとけ)のない教会のドームは話し声のエコーも
大きく聞こえる。市中もバイクや車、人の流れも少なく
のんびりしたリゾート地。この街の時計はゆっくり動い
ているのではないかと錯覚してしまいそうです。途中、
市場によって庶民生活の一端を見て回る。歩道の片隅で
ビーチパラソルの中で、体重、身長測定の商売をしてい
る。元手はヘルスメーターと昔のあの身長計だけ、冷か
しながら測ってもらう。測定料は忘れた。でも、測って
くれたおばさんが実に陽気で楽しい。
 旅行は今日で8日目。食事もフルーツも美味いものが
判ってきた。みかんほどの大きさのマンゴスチン20個ほ
ど値切りを楽しみながら200円位で買い、ホテルに帰っ
て聞いたら、それでも3倍くらい吹っかけられていた。
この国の物価と貨幣価値がどうも馴染めない。ホテルの
枕銭(チップ)10,000ドンと数字が大きいので感が狂っ
てしまいます。(10000ドン=約70円)
 夕方、ベトナム最大の商業都市、バイクの洪水、車の
洪水、ひと、ひと、ひとの南部に位置する ホーチミン
市(以前はサイゴン市)に到着。旅行最後の滞在地です
この街は私にとって懐かしい思い出の多い街です。約
45年前通信士時代に数回訪れているのです。当時は車も
珍しく、市民の足はシクロのみ。時代はベトナム戦争の
前でサイゴン市は北側(北ベトナム)のテロ(ベトコン
ゲリラ)攻撃の目標になっており、市内は緊張状態にあ
り、夜間は戒厳令が出され11時以後外出禁止でした。
最初の訪れたとき、そんな事も知らず仲間数人で街へ遊
びに出て、帰りが11時を過ぎてしまった。当然シクロも
なく、歩いて本船まで帰ることになった。通は200m位
おきにトーチカがあり、そこに哨兵が銃口を歩行者に向
けて構えている。危険を感じ、ゲリラと間違えられない
ため、また、日本人であることを知らしめるためサクラ
・サクラを歌いながら歩く。声が上ずったように覚えて
いる。早足で歩く。我々のほかは誰も歩いていなかった
と思う。街は薄暗く静寂そのもの。そして、哨兵の前を
通り過ぎ、銃口を背中に感じたときに恐怖心はピークに
なり、背筋が凍りつくということを実感したのを今でも
昨日の出来事のように覚えています。
 空港からホテルに直行、町並みはお世辞にも綺麗でな
い。随分汚れている。建物や道路は元の色が判らないく
らい汚れたまま。でも、活気は凄い。以前の発展途上の
台湾みたい。バイクの洪水、負けじとバイクと競って走
る車、クラクションの合奏、交通ルールも良く解らない
 ホテルのチェックインの時にまたトラブル発生。チェ
ックイン手続き中、カードの提示を求められる。クレジ
ットカードとのこと。「宿泊費は旅行社からの支払う筈
」の旨伝えると「了解」との返事。でも、カードの提示
を要求する。すったもんだの末、どうやら、宿泊の保障
としてカードを見せてくれ言っているらしい。「カード
の代わりに現金を預ける」と言ってもダメ、フロントマ
ンの言うには「ホテルの規則だからどうにもならない」
との一点張り。これが四つ星のホテルだったので驚きの
二重奏でした。参考までに帰国して、この件をカード会
社に問い合わせたら、30$をホテルの都合で何時でも実
行できる状態になっていたとか。勿論出金はされません
でした。カード会社曰く、こんなケースは初めてとか。
田舎の老夫婦の自由旅行、ホテル側も信用できない部分
があったのかと思います。
 日本を出てから日本食を全く食べていなかったので、
今夜は日本料理店へ。フロントで聞いた店をタクシーで
探すがなかなか見つからない。同じ道を4〜5回廻るも結
局見つからず。他の店に行くことにしてタクシーを降り
ると、運ちゃんは恐縮して料金を引いてくれた。小さい
心配りに感謝してチップと称してメーター分位を払った
カツどん、赤出汁、煮物、漬物、特にコシヒカリが美味
しかった。

4月26日(月)
 今日はメコンデルタの観光。車で1時間半ほど走り。
船外機を付けた小船に乗り継ぎ対岸の湿地渡る。ここで
も乗客は二人だけ。ツアー客の最も多いホーチミンでも
このありさま。鳥インフェルエンザの影響は大きい。シ
ーズン中はどのホテルも観光地も日本人で混雑している
が、今は殆どいないらしい。
 熱帯植物の樹木の間に点在する観光施設、地酒、蜂蜜
織物、果物園などの製造販売、また、家族で楽器と歌で
もてなしてくれている間に楽団に参加できない小学生が
土産品を売りに来る。他に客がいないので、買わずに耐
えるのは辛い。2〜3人乗りのカヌーにのってジャングル
を散策し引き返す。
 午後は市内観光。ベトナム戦争の歴史の観光コース、
サイゴン陥落の象徴だった大統領官邸、テレビで全世界
に実写された軍旗を翻して官邸に攻め入る解放軍の戦車
の展示、大統領官邸の数多い部屋の中にはからくりで抜
け道もある会議室、隠しエレベーター、そして最地3階
には宣伝放送の設備、通信室、作戦室、通信機器は殆ん
ど米国製。非常用可搬型通信機も米軍のものでした。
 次に、ベトナム旅行では必ず訪れる戦争記念館に足を
運びました。中庭の広場では実戦使用した戦車、大砲な
ど大型兵器、館内では小火器や通信機、世界各地で未だ
放置されている各種地雷。私が4日前に訪れたゾーミー
村の10km北にも未だ地雷の未撤去地帯がありました
 また、奇形児誕生の原因となった枯葉剤の散布の実態
そして一つの胴体に繋がった双子の胎児など数体の奇形
児をアルコール保存して展示してあったのを見たときは
思わず目をそむけてしまいました。この館内の主旨はア
メリカとフランスが悪(戦前はフランスの植民地であっ
た)であり、大方の国民は「日本は開放してくれた国」
となっているらしい。

4月27日(火)
 10日目 最終日
 予定では皆さんの中にも記憶に残っている方もおられ
ると思いますがベトちゃん、ドクちゃん(体がくっつい
たまま生まれ、日本の医師団の協力で分離手術が行われ
た)がタン女医のもとでコンピューターの仕事をしてい
る障害児童の施設「平和の村」を訪問し、タン女医はじ
め出来れば本人にも会う予定でしたが、スケジュールが
合わず実現しませんでした。
 今日最終日、帰国なのでガイドさんと終日共にする。
フライトは夜行便。ぶらぶらして最後のベトナムを楽し
むことにした。社寺仏閣はあまり興味がないのでショッ
ピング。市場めぐりその他庶民の中に入ることを目的に
した。
 ホーチミン市最大の卸、小売兼用の市場見物。先日火
災があったドンキホーテも顔負けの大型市場。食品はじ
め各雑貨が通路にはみ出して並んでいる。ここは市場な
ので幅4m位のブースで仕切られ、夫々売り子がいる。
衣類売り場などは背丈以上に積み上げた商品の上に売り
子が座り通路を歩く客を見下ろしながら大声で商売して
いる。弁当を食べたり、隣の売り子同士で話したり、屈
託なく陽気な人たち、こんな店が迷路のように続いてい
た。
 正午過ぎスコールが30分程降った。熱帯地方のスコ
ールはまさにバケツをひっくり返したような土砂降りで
ある。蒸し暑さに堪らなくなり表に出るとびっくり。大
通りは膝まで水没している。車もバイクも歩く人も大混
乱、流れを失った水は市場の中まで流れ込んで床下浸水
である。でも各商店は予めこの事は予想の範囲らしく売
り子も客も裾をめくり、何事もないかのように商売を続
けている。
 今日のガイドさんは細身で背が高くて美人のMiss 
Kim  Thanh(キム・タン) ジーンズが良く似合う。それ
に日本語も流暢である。余談になるが今回の旅行を通じ
て感じたことは鳥インフェルエンザ騒動で日本人の観光
客は激減している中、そんなリスクを犯しての旅、大い
に良い面もありました。飛行機は半分以上の空席があり
足を伸ばして寝ることが出来、また、ガイドはどこの都
市でもサービスも技量も最高の人を派遣して頂いたよう
で、その他、殆どのホテルが午後のチェックアウトOK
でした。
 ガイドのキム・タン嬢の提案もあって、夕食はベトナ
ム舞踊を見ながらフランス料理をいただくことにした。
 
彼女の分を含めて3人分を予約した。彼女は「デイナー
はアオザイを着てもいいですか?」(アオザイ=ベトナ
ムの民族衣装)。勿論OK。
 PM6時半レストランは我々3人のみ。フォークの音が
響くほど静かである。キム・タン嬢の薄いピンクのアオ
ザイがレストランの淡い光線に揺れ妖艶に見える。アオ
ザイは身体にピッタリ密着させて着る民族衣装。既製品
はなく、全て採寸して仕立てるのだそうだ。首から胸の
線が・・・昼のジーンズ姿と別人のよう。視線がどうも
落ち着かない・・??
 7時を過ぎたころから来客あり。20人位のフランス人
団体客。ショーは7時半から、徐々来客あり。いつの間
にか賑やかなショーレストランになった。日本人は残念
ながら我々だけでした。民族舞踊が始まる。楽器も歌も
踊りもはじめてのものばかり。アオザイを着た踊り子は
新鮮で異国情緒満点、色気も申し分なし。ガイド嬢が最
前列の踊り子の一人を指して「あの人はミス・ホーチミ
ンです」とのこと。なかなかの美人。次に、楽団がお決
まりのように来客のお国の音楽を奏でる。日本の場合は
これもお決まりの「上を向いて歩こう」が客席の手拍子
を誘い演奏された。
 PM10時 ホーチミン国際空港着。アオザイ姿のキム
・タン嬢から空港内の諸注意を聞き、お別れすることと
なった。さすがベトナム随一の国際空港、かなり混雑し
ている。此処は社会主義国、少し緊張して行動しなけれ
ばならない。
 フライトは23:30分、チケット、カウンターの時刻表
示、掲示板、搭乗口の確認等、これらの情報がリンクし
ていない事もあり注意が必要だ。たとえ間違い情報に騙
されてミスをしても、間違ったほうが悪いのがこの国の
しきたりである。
ガイドに教えられたとおり、空港税を払い通関口へ。二
階の通関ゲートに行く途中、制服を着た男に制止させら
れる。支払った空港税の領収書の提示を求められる。彼
は持っているノートを見て、この領収書は自分のノート
に記載されてないからダメと言う。ノートを覗き込むと
何やら数字がボールペンでギッシリ書いてある。男の立
っている場所には、デスクもなければ表示もない。通路
に立っているガードマンのようだ。10分ほどスッタモ
ンダの末、やっとOKとなる。日本語の解らない彼とベ
トナム語のわからないこちら、多分あきらめたのであろ
う。それに買いなおせと言われても、財布の中は空っぽ
二人分の空港税を支払うベトナムドンも米ドル(24$
)も持ち合わせがないのが強み。フライトまでの時間も
充分あったのでこれ位のトラブルは寧ろプラス面の経験
であり、思い出のひとつになりました。
 フライトは予想通り半分以上の空席があり、足を伸ば
しての横になり眠ることが出来ました。朝食のざわめき
で目が覚めたときは沖縄上空でした。
 
                             DE JK3KSC





                今年の二つの目標

 
 現在まで、私の原稿はHFのアンテナのことを多く書
いてきました。アンテナ以外に悩みがない時はないので
す。とに角アンテナのことに悩みが多い訳です。しかし
他にも色々と勉強したいことは多いです。
 今年は、いよいよディップメータを自作しょうと思ってい
ます。KCWAメンバーの皆様の中には、周波数アナラ
イザーをお持ちの方がおられますし、鈴木さんのように
自作される方もおられます。しかし今の私の技術力では
そこまで行っておりません。そこで一寸下のクラスの物
を自作したいと思っています。ディップメータがあれば高周
波関係の工作に関して、より正確なデータが作れますし
自作品に対する自信も出来ると思います。
 JA3XCL OMに頂いたディップメータと二台になれ
ば現在よりも使用法にも広く行けると思います。前に自
作したディップメータでは現在手持ちのディップメータよりも
ディップ点がよく解るように思われます。

 
もう一つは50メガ用のダイボールアンテナを自作したいと思
っています。現在借りているIC726はHFと50メ
ガが出せますので、50メガを出したいと思っています
HFは100W出力ですが
50メガは10W出力です。それでもワンエレメントの
ダイポールを自作すれば、ある程度のQSOが出来ます
尚問題のアンテナの調整はHFに比べ、ワンエレメント
のダイポールはディップメータによる調整も楽です。只出て
いる局が少ないので運用は土、日曜日になるかもしれま
せん。そこで「土、日は50メガ、平日の昼間は7メガ
」という形でいければ満足と思います。この通りHFの
アンテナでは非常に苦しんでいますが、これも技術向上
の為の通過すべきステップと思います。
 以上二つの今年の目標を出しました。
これでどれ程実行出来るか? 今後一生懸命努力する心
算です。

                                    DE JE3LKZ




               私 の B C L 紹 介


 私はハム開局と同時期よりエアーバンドをワッチして
エンジョイしていました。アンテナは11m高ディスコ
ーンでレシーバーはソニーのAir7です。これを持っ
て以前は大阪空港の南東にある豊中市曽根南町3丁目交
差点を西へ原田大橋から千里川の土手を100m程行っ
た所でジャンボの到着をレシーバーをワッチしながら楽
しんでいました。
 12月7日トムハンクスのターミナル映画を城陽文化
パルクでありましたので家内のケアーを受け見に行きま
した。広大な土地にターミナルをセットを作り沢

山のエキストラを動員して撮影されたようです。売店の
店員も本当に売店で実習されて出演されたようです。9
ヶ月も空港に取り込まれ、その間色々なヒューマンドラ
マが生まれるわけですが私にはもう少しハードな空港の
外側を見たかったです。
 エアーバンドでは大阪空港のATISとANAのエン
ルート用カンパニー129.65MHz A3Eを常時ワッチしてい
ます。
 各局どうか身体を御自愛下さい。そしてホビーを楽し
んでしたさい。

                                    DE JE3PQG



     50MHz AM QRPトランシーバの製作


 毎日寒い日が続いていますが、皆さんいかがお過ごし
でしょうか?
 さて小生の方はと申しますと、以前から計画していた
“50MHz AM
QRPトランシーバの製作と言うことで今この原稿を書
いている最中です。ほぼ完成という所まで来ている状態
であります。まあもう少し早く完成していれば、この件
を原稿にしょうと思いましたが何せ完全に仕上がってか
らの方がよいと思い今回は次回へ見送りとなりました。
ちなみに、このQRPトランシーバの規格ですが昨年1
1月に名古屋で開かれた
50MHz2エリアAMグランドミーティングの際同席し
たJP2OMU酒井宏高氏が発表した回路を参考に小生
が製作したものです。規格は下記の通りです。

―――――記―――――

50MHz AM QRPトランシーバ
周波数範囲 50.550〜50.620MHz
  VXOで可変
出力 100mW
回路方式 第1IF 10.7MHz
     第2IF 455kHz
受信回路 ダブルコンバージョン
送信回路発信周波数 40MHz VXO
及び10.7MHzをミックスして
50.6MHz台を出力する方式。
変調方式 低電力変調 
電源電圧 6V

ざっと大まかな規格を書きましたが詳細については次回
のKCWA会報で大々的に発表したいと思います。
 又最近大阪日本橋に行く機会がありパーツ店を覗いて
みますと、以前に比べる

と部品を扱っている店数が少々減った気がします。これ
は小生だけでしょうか? 日本橋だけではなく名古屋の
大須の電気街を歩いていると、以前に比べパソコン屋、
携帯電話屋が多くなり知っているのは一部のマニアのみ
??だけでしょうかね!? 小生達が無線を始めた昭和
50年代頃はメーカ製もいいけれど、やはり無線をやる
なら自分で出来る物は出来るだけ自分で作る!!という
のが当たり前と思っていましたので‥‥。時代が変わっ
てしまったのでしょうね。
 昨今学生の理数離れが叫ばれていますが、以前CQ誌
にこんな文句が書いてありました。「最近の理工系の学
生は、理論はある程度知っているが実践が伴わない。」
とありました。鉛筆をカッターナイフを使ってで削るこ
とやヤスリを使って物を削ることが出来ない学生が増え
ていると。小生が思うには「この先日本はどうなるんだ
!」「技術大国日本と言われたことは過去のことか!」
と言えるぐらいの心境です。このこと思うのは小生だけ
でしょうか? さて会員諸氏の皆さんはどう思われます
か? ご意見をお聞きしたい所です。
hi hi

 本題から離れてしまいましたが、今年もどうぞ宜しく
御願いします。

追伸

 今回の50MHz AM QRPトランシーバの記事は
次回の会報で発表しますので宜しく御願いします。製作
から調整運用までです。ご期待下さい。
 
                                DE JG2ULB




              ご無沙汰しています
 
 
 TVを何気なく聞きながら仕事していたら、「〜〜OO
さんは、ご高齢の65歳になられました。〜〜〜。」とレ
ポーターが言った。一瞬ギャフーンとつんのめされた。
当局は65歳を過ぎていたからである。それまで私はまだ
中年だと自分に言い聞かせ、体力維持に日夜努力をして
きた??
 昨年の夏には立山に登ったりしているのに、「なのに
なのに、世間は私を高齢者というか!!」である。〜〜
でも仕方があるまい。少しずつ体力は落ちてきた。少し
ぐらい歩いたって、年に一二度山に登ったりしても、す
ぐ筋力は落ちてしまいます。
 最近は、左手親指の腱鞘炎になった。
CW縦振りkeyの使いすぎなら格好も

つこうが仕事と2年ぐらい前からはじめた「年寄りの習
い事、ギター練習」の結果らしい。
 ギターで誰もが通るの難関門、「Fバレー」の練習が
引き金らしい。朝起きたら左親指が曲がったまま元に戻
らない。戻そうとするとすごく痛い。医者に行くと「バ
ネ指」と告げられた。積極的な手当ても無く、「しばら
く安静にしてよくならなければ手術しかない」と軽く言
ってくれる。もう4ヶ月ぐらいなるが、まだ良くならな
い。指も痛いが、ギター練習できない事のほうがより痛
い。
これも中年卒業の結果であろう。でも負けないぞ。

                                   DE JI3CZD




        KCWAコンテスト審査に携わって

 今年も12月5日のKCWAコンテストがやってきた。それ
は60歳を超えた私にはつい先日にあったことのように思
えて早いものです。
 コンテスト受付を1999年から担当させてもらって早いもの
で6回目になります。
 今回も初日からメールで30局ぐらいコンテストログが
到着しましたが、間違いがないように毎回緊張します。
 受け取ったログに受付番号をつけて保管し、電子ログ
は照合用にフォーマットを揃えて保管します。いろいろ
なフォーマット形式でいただくログはZLOGありCSV形式
ありエクセル形式にテキスト形式など、記入順序が違っ
たりして本当に多彩ですがMKEditorと言うフリーソフト
のおかげで、Windows上で短時間に修正して同一形式に
整えることができます。
また12月31日消印まで到着した郵便物も開封して受付番
号を付与してMS-DOSの98ノートへ提出局の交信ログを投
入して照合を楽しみに保管します。その98ノートも我が
家に3台ありますが、まともに使えるのが1台だけで、他
のPCは使用のたびにDOSをインストールしなけ

れば使えません。多分バックアップ電池の劣化と思われ
修理を試みましたが電池が溶接で配線がしてあり手が出
ませんでした。早々にKCWAコンテストの照合ソフトの
Windows化をどなたかが移植していただくことを期待し
ているところです。
 今回も146局のログ提出があり1回目の照合を1月初旬
に行いましたところ答えはエラーで表示、再度ファイル
チェックと紙ログの再点検です。電子メールでは数字の
0ゼロと英語のOオーが誤っていたり、交信バンドの切
り替えや記入欄のスペースが多く一行で36半角文字数を
超えて私が間違ってファイル化していたものを修正、私
の投入データでは局名や受信番号投入を間違ったり、運
用地を誤って違う運用地を投入しているのが判明して修
正、エラーの原因が消滅しました。
 1局ずつ修正して再度照合して私の役目は終了です。
後はJE3HXPさんやJF3AEMさんの監査を受けて終了です。
監査が無事終了することを祈って確定を待っている今日
この頃です。
                                       DE JA3DLM

 
 


1.2004年度 第21回 KCWAコンテスト報告は別ページで



6.クラブ便り


      来年度でKCWA創立20周年記念

2005.2.1
                      KCWA事務局
 KCWAは昭和61年(西暦1986年)4月1日にアマチ
ュア無線の普及、CWの啓蒙等のため有志39名が東山会
館に集まり産声が上がりました。今年2005年4月1
日で創立20周年(数え年)を迎えます。回顧すると、
その後色々と紆余曲折がありました。創立当時のメンバ
ーの中で、現在も活動されている方は11局おられます
会員はジリ貧状態で後世に伝えるため、新旧交代の必用
な時期です。
 特記すべき活動事項はJARL京都支部から依頼を受けて
4つの京都支部、関西ハムセミナー共催行事の3つ(
KCWA TEST,初級CW QSO教室、上級ハム国試対策講習
会)の委託を受け共催してきました。本件についてはア
マチュア無線の普及、CWの啓蒙等について多大な実績を
上げてきたものと自負しています。又、同時に発行され
たKCWA NEWS→電信が現在も
発行されているという事実には驚きです。どこのクラブ
でも、三日坊主が常識の中、ここまで続いてきたとは信
じられないことです。両件とも会員各位の献身的な努力
の中支えられています。
 記念事業を次回の(H17.5.15の予定)総会で執り行い
ますので、会員各位のご参加をお願い申し上げます。
 
 以上 

1.事務局よりお知らせ
@ロールコールキー局:来年の4月以降未定につき、希望者を受
け付けます。
 ぜひやってみたい方がありましたら事務局まで申し込
んで下さい。
A事務局スタッフ募集:時間がある方で、お手伝い願え
る方がありましたらご連絡下さい。各種行事の手配、機
関誌の発行応援、……等。
BKCWAホームページに各種行事の案内、報告を掲示して
います。ご覧になった感想、意見、……等がありました
ら、掲示板に書き込み下さい。事務局が定期的に閲覧し
ています。事務局の連絡用としても御利用して下さい。
C第19回上級ハム国試対策講習会:2005.3.13(日)
9:30〜16:30 キャンパスプラザ京都にて開催。
D2005年度KCWA総会の予定:2005.5.15(日) 14:
00〜16:00 アイリスイン城陽にて開催予定。同時にK
CWA創立20周年記念行事も併せて執り行います。
総会終了後懇親会を行いますので会員各位様多数のご出
席を御願いします。
2.投稿案内
 もし、ワープロで原稿を作成された方はEメールにて
太田 広 ja3pua@jarl.comまで送付して下さい。Eメ
ールで送れない方は郵送で太田 広まで送付して下さい。
ワード、一太郎、テキストファイルいずれでも可。書院
オアシス、…等のワープロで打たれた方はMS-DOSテキス
トファイルに変換して送って下さい。行、列の数は指定
無し。手書きの方は原稿を送って下さい。ホームページ
掲載不可の方はその旨御通知下さい。
3.販売品のご案内
 初心者のための実践QSO解説書 ‘05.2 第6版
 編集者 KCWA事務局 実費 500円。
ご希望の方は表紙事務局まで。
4.編集後記1
 今回で編集を2回目再担当させて頂くことになりとな
りました。再度宜しくお願いします。
今回の表紙は誰からも投稿がなかったので私の愛用のキ
ーであるKATSUMI ELEKEY EK-150を載せました。コン
テスト、ロールコールで長時間運用する時には不可欠の
キーです。皆さんのイラストを順次載せていきたく思います
ので送って下さい。皆さんの投稿を期待しています。 
(^o^)
 本誌が年に2度の会員相互の伝達や親睦に貢献すべく
有志各位のレポートや投稿を期待しています。
 本誌の絶版記事が載らないように記事を送って下さい
ね。 (*^_^*) (^_^;) アドレス、電話番号の間違い、
変更がある時は事務局まで。 (;_;) 尚、送って頂い
た原稿は一部編集者の判断で編集している部分がありま
す。ご了承下さい。


編集後記2
1.電信の黎明期の後編掲載延期のお詫び
 記事の中で一部引用する部分があり、関係機関に事前
に了解を求めましたが、最近の情報漏洩など著作、版権
の取り扱いが厳しく一時保留の要請となりました。従っ
て今回の続後編は掲載を断念しました。
2.会員名簿、メールアドレス掲載中止のご提案
 会員相互間の連絡のため最新版を掲載していましたが
外部に流失し悪用される可能性がありますので、次回か
ら削除の方向で望みたいと思います。皆様のご意見は?
 ご意見はホームページに書き込んで下さい。

5.クラブへの入会案内
 入会金 1,000円、会費2,400円/年。郵便
振り込みされる方は口座番号 0140-0-22013/加入者名
 京都CW愛好会/主な活動として機関誌を2,8月の年
2回発行。/KCWAコンテストの主催。/JARL京都支部共
催行事の初級CW QSO教室、上級ハム国試対策講習会の
実施。/不定期に野外移動実施
6.ロールコール案内
 曜日 毎週火曜日/時間 21:30〜22:30頃
終了 局数により早期終了、延長有り/周波数144.
09MHz付近/和文、欧文、スピード等はチェックイン
者に合わせます。極端に早いのは御遠慮下さい。/キー
局は毎月変わりますのでレポート交換に御利用下さい。
会員の有無は不問。
7.発行記録
京都CW愛好会機関誌 電信 第38巻 通巻38号「無
断転載禁 C 版権はKCWAに帰属する」発行 京都
CW愛好会事務局(表紙参照)/編集者 太田 広/昭和
61(1986)年6月1日初版発行毎年2回2/8月
1日発行/バックナンバーはKCWAホームページhttp://
www.jarl.com/kcwaに掲載/太田 印刷所      

             
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