TARC NEWS 212号 2012年7月2日発行7月5日全文記事のページ追加 http://www.jarl.com/tarc/
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移動運用

小笠原移動運用QSLカード
小笠原移動運用QSLカード


2012年・小笠原諸島 父島/JD1移動運用の記(全文掲載)

JA8ALT/1 中村公隆(横浜)


企画
「一度は行ってみたい、世界自然遺産/小笠原諸島・・・」

という事で2012年TARC初夏の移動運用先を小笠原・父島に決め、参加費用を最小限に止める為に2等船室/パック旅行で実施する事としました。

出港予定日6月7日の2ヶ月前迄には船便の渡航予約を済まさなければならない状況なものですから、3月24日より参加者を募らせてもらいましたが、今回の目的地が太平洋の彼方1,000Kmの離れ島であり、交通手段としては東京・竹芝桟橋から週に一便のみ出港する定期客船”おがさわら丸(7,600t 旅客定員768名)”のみしかなく、片道25.5時間かけての船旅で一旦父島へ到着したならば、6日間は帰りたくとも帰って来られない旅程でもあるため、仕事の都合等で参加が適わない方もありまして、残念ながら7名のみの参加で実施する事とはなりました。
(参加者7名は文末に列記)

出航・25時間半かけて父島へ
【6月7日】 初夏のTARC移動運用は何故か台風の影響に晒される度合いが高い様で、まだ6月だというのに今回も台風4号が早くも5日に関東へ接近した為に6日の出港が一時は危ぶまれましたが、海に大きなウネリは残るものの7名を乗せた” おがさわら丸”は予定通りに7日午前10時に東京竹芝桟橋から出港し太平洋の彼方へ向けて乗り出しました。

小笠原諸島は、目的地の父島も含めて30余の島々から成り、太平洋戦争での敗戦後は23年間アメリカの占領に置かれてKG6IA〜IZのコールサインが割り当てられ米軍人等が運用していましたが、1968年に日本へ返還されたのを期に、行政住所は東京都小笠原村ながらも”JD1”のカントリー・コードが与えられているものです。

因みに、島内を走る車は”品川”ナンバーであり、車検は島内で実施できることを知りました。

そして絶海の島々であるが故に特異な生態系なので、2011年にはユネスコの”世界自然遺産”に指定され、それを期に現在は、渡航者数の抑制や外来種持込防止対策等が実施されるようになっています。

片道に丸1日以上の時間(25.5時間)がかかり、時速40Km/h程度で大海原をただひたすら航海しなければならないので、出発前まではただ単調で退屈な航海と捉えていた参加者も居た様ですが、いざ出港してみると海原ばかりしか見えない船旅も、そんなに悪くはないものだと実感して貰えたようです。

到着〜民宿に分宿
【6月8日】 船が午前11時半過ぎに到着した父島・二見港は、2週間ぶりで久しぶりの晴れと聞かされましたので幸先や佳しなのですが、到着しての第一印象はひたすら蒸し暑いことでした。

パック旅行のため投宿先の民宿を1軒に集約する事が適わず、2軒の民宿”S”と”G”に分宿せざるを得ない状況にありましたので、一行7名中喫煙者の3名は館内いたる所喫煙OKの宿”G”へ、嫌煙者の4名は禁煙体勢の宿”S”に分かれ、200mほど離れた夫々の宿に荷を解いたのですが、朝晩の食事内容やら民宿内設備やサービスに格差が見られた模様で、まもなく、喫煙者組3名は禁煙者組4名からのヤッカミを受けることとはなります。 HiHi

島内陸上観光
往復の船旅だけで丸2日以上を費やしますので、父島での滞在期間は3泊4日しかありませんから、あまりボーッとしている時間はありません。

到着初日には父島内をバスで3時間巡るツアーを午後2時出発で予約してありましたので、急いでスーパーで弁当を買いこんで、公園のベンチで港を見ながら皆で昼食を摂ることで出発時間に間に合わせ、バスで巡る父島観光に出発しました。

“父島”島内の特異な動植物の生態や、外来種に拠る侵略を受けている状況のガイドを受けながら、2×8Km程度の狭い島内を3時間以上かけてのツアーで、太平洋戦争当時の軍事建造物の残骸や、本土から1,000Km離れている事に意味がある国土地理院のVLBIや国立天文台のVERAの大型パラボラ・アンテナを見る共に、住宅地では何軒かに立派なアマチュア無線のアンテナ・タワーが建っているのが確認できました。

運用場所の議論
各々の民宿での夕食後に7名が一同に会して酒を呑みながらではありますが、何にしても、曲りなりらもアマチュア無線を運用する事を第一目的に掲げて父島に渡ったのですから、ともかくアンテナを上げない事には話が始まりませんから、民宿の屋上か・・、村役場の許可を取り付けて近くの公園内に移動し発電機を回せるのか・・、何処なら問題なくアンテナを上げられて上手くQRV出来るのか・・と、議論を重ねましたが翌朝の村役場との交渉に課題を残しつつも散会。

民宿にアンテナを設置するも・・・
【6月9日】 本日公園内ではイベントが計画されているとかで公園使用には色好い回答は得られなかったものですから、各々の民宿にアンテナを掲げる事とし二手に分かれてQRVを試みることに落ち着きました。

民宿”G”の2階ベランダ上に建てたマルチ・バンドのスモール・ループアンテナをATU経由で、クラブ購入にして今回初使用のIC-7000に接続し、3.5〜50MHzの各バンドをくまなくワッチすれどもアラ不思議・・・、ナント思惑とは異なり、どのバンドに於いてもCW局の1つすらも聴こえて来ないではありませんか。

初交信はJQ1KSM
一方民宿”S”の方でも、屋上に掲げた16mロングワイヤーにIC-7000を接続したのですが、チューニングがうまく取れません。予備機のIC-706に変えたところ動作しましたが、7MHzは聞こえません。

それでも根気良くワッチすると、21MHzで少しは信号を確認できるようになったのでCQを出していたJQ1KSMを呼んでみると取ってくれ、JM1ZOR/JD1の初交信が成立しました。ありがとうございます。

このあとCQ こちらはJM1ZOR/JD1を連発し海外を含む20数局と交信できました。夕食後は7MHzでCQを出し続け50数局と交信できました。

アンテナトラブル
【6月10日】 雨模様の朝を迎えましたがアマチュア局の信号を受信できない状況に変化が無いので、”G”では急遽18mロングワイヤー・アンテナに張り替えてみたところ7、21MHzで少しは信号を確認できるようになったので呼んではみるものの応答が得られません。

アンテナ・チューナー(AH-4)はチューニングを取っている素振りを見せてはいるものの、SWRを確認してみるとナント極めて大きな値を示していて、まともに電波を送信できていない事が判明しましたので、受信時もアンテナが離調している為にサッパリ聴こえなかった訳です。

地元JD1局とアイボール
“S”でも朝から何も聞こえません。仕方なく昨日訪問いただいたJD1BMG初見さんをたずねて島ブラを決めました。湾の反対側にそれらしいアンテナを発見、訪ねてみるとJD1BBH山田さんでした。初美さんは境浦と聞かされて更に30分ほど歩いて訪問し、アイボールQSOもできました。

宿に戻り昼食後もコンディションは一向に良くなりません。それでも根気良くワッチすると、24MHzが聞こえました。結局この日の成果は21MHzと合わせて数局の交信でした。

不測の事態に
“G”の方では交換するリグが無かったので、それならばとAH-4チューナーの接続を必要としない50MHzの4エレ八木アンテナを急遽組み上げてワッチを試みましたが、北側に山を背負った港の地形では日本からの電波が遮られる模様でやはりQSO不能でした。 致し方なく、明日の離島に備えてアンテナを撤収、ザンネンの極み・・・・。

使い込んだ経験/実績の無いリグ、アンテナ、チューナーの組み合わせでは、不測の事態に見舞われて泣く事を今回充分に思い知らされましたので、反省を含めて今後の対応に活かさなくてはなりません。

また、情報によると、我々が宿泊して居る二見港近くは山で囲まれているが故に、島内では最もQRV条件が悪い地域である事も判明しまして、QSOが困難だったのも道理ではありました。

周辺海上クルーズ・ツアー
【6月11日】 早いもので父島最後の日とはなりまして、港に停泊し待っている” おがさわら丸”に再び乗船して午後2時に出港し帰路に着かなくてはなりませんが、その前に、午前8時半出発で予約してあった父島周辺を船で4時間かけて巡るクルーズ・ツアーに出発です。

波が高く霧が海面近くまで降りていて視界があまり利かない天候と共に波も高いのでクルーズ・ボートはかなり揺れまして、シッカリと掴まっていないと海に投げ出されそうな航行でしたが、隣接する無人島にして自然が残る”南島”へ到着・上陸して、眠りザメの魚影やら水なぎ鳥の巣穴、前夜に海ガメが産卵の為に何匹も上陸した痕とか、陸ヤドカリ等を見てから、再び乗船しイルカとの遭遇を期待しつつ父島への帰路に着きましたが、天候条件が悪いため残念ながらイルカを見かける事は適いませんでしたが、船を泊めて多くの南海の魚達に接する事もでき、満足のいくクルーズ・ツアーではありました。

帰路も25.5時間
父島へ帰り着くと間もなく午後2時の”おがさわら丸”の出港時間とはなるので、昼食もそこそこに荷物を纏め”おがさわら丸”が停船している二見港の待合室に集合し、25時間大海原だけが続く、遥か1,000Km彼方の東京へ向けて再び船上の人となったのではありました。



JD1移動運用参加局と氏名 (民宿ささもと・S) JA1KHV 松井 淳、JA1STY 鈴木 清、JE1PWF 小沢利幸、JP1RPQ 菊間敏文、 (グリーンヴィラ・G) JR1WUZ 上遠野準之助、JA0DVE 平野正紀、JA8ALT 中村公隆、 以上7局

文中の小見出しは編集部でつけました。
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