JARL岡山県支部長室へようこそ!
JH4LPY 梶田英司 Eiji KAJITA
Vol.3

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Vol.1 (2021/1/1~2023/7/15) は  → こちら
Vol.2 (2023/9/3~2023/12/28) は → こちら


◇ 耳の栄養  <2024/4/29>  
  皆様、GWいかがお過ごしでしょうか?(いつもの事ながら、GWは「グラウンド・ウェーブ」と読めて仕方ない!)
  私は本日、家内が取ってくれたチケットで、二人でヴァイオリニスト千住真理子さんのレグザムホール(高松市)でのコンサートに行ってきました! 普段は、コンサートなど無縁な私ですが、ヴァイオリンの音色だけは好きで、精神的に疲れたときに聴くと脳ミソをマッサージしてくれるような効果があります。
  千住さんのヴァイオリンは、名器中の名器、ストラディヴァリウス「デュランティ」です。(ストラディヴァリウスが作ったバイオリンには、1台1台、名前が付けられている。)チャンスがあれば、一度聴いてみたいと思っていました。家内は、デュランティにまつわるストーリーの本を読んでいて、それによると、ある日、ストラディヴァリウスの黄金期である1716年に製作され、ヨーロッパのコレクターの間を渡り歩いていて、300年間弾かれていなかったデュランティについて、千住さんに購入しないかとの話があったそうです。値段はとんでもなく高価であったにもかかわらず、回答までの猶予は3日間しかなかったのですが、兄弟の協力もあり、購入を決断されたそうです。
  14:00から始まったコンサートでは、山洞智さんのピアノ伴奏で、バッハ作曲「G線上のアリア(バイオリンの一番低い弦、G線1本だけで演奏するためこの名がある。私のお気に入り!)」から始まって、日本人に有名なところでは、フィギュアスケーター荒川静香さんが2006年トリノオリンピックで金メダルを獲得した時の曲、プッチーニ作曲「トューランドット‘誰も寝てはならぬ’」(曲紹介で千住さんも「イナバウアー」と言ってのけぞっていた。)など全15曲を、3~4曲演奏してはMC(おしゃべり)が入る形式で進められました。
  MCでは、デュランティにも触れられ、「2002年に自分のもとに来たものの、名器ゆえに自分を受け付けないじゃじゃ馬で、弾きこなせるようになるまで5~6年かかった。今回、飛行機で来たが、デュランティ用に1席を確保(ボーディング・カードには、『デュランティ』と書いたのかしらん?)し、上下をクッションではさんで、シートベルトもして、手で押さえていた。今日は、機嫌よく鳴ってくれているようです!」と、笑いをとる一幕もありました。
  途中15分間の休憩をはさんで、最後は、アンコールで、ホルスト作曲「ジュピター(平原綾香さんの歌唱で有名)」や、エルガー作曲「愛の挨拶(聴けば誰もが知っている曲)」など3曲を加えて、2時間の演奏でした。
  私は、前半で演奏されたヴィターリ作曲「シャコンヌ」が、初めて聴きましたが気に入りました。千住さんも演奏前のMCで、「両手の様々な技法がある曲で、ヴァイオリンを習う方なら必ず練習する曲です。私も中学生のころ出会って魅了され、ずっと頭の中で鳴っていました。初めての方にも好きになってもらえたらと思います。」と言われていました。
  文章にすると何のことやらと思われるでしょうが、ぜひ一度音楽配信サイトなどで聴いてみてください。HF帯でノイズの中からシグナルをピックアップするのに疲れた耳を、やさしくマッサージしてくれることでしょう!

 P.S. 16:00にホールを出て、雨の中を自宅に着くまで
   に要した時間は、たったの65分!改めて瀬戸大橋
   のスゴさを感じました!!


◆ 心配だ~!  <2024/4/25>  
  先日の令和6年度通常選挙は、私にとって残念な結果になりました。
  554人もの多くの皆様にご支持をいただきながら、あと一歩及ばなかったのは、私の力不足であり、大変申し訳なく思います。この場をお借りして、皆様にお礼とお詫びをさせていただきます。
  私の選挙広報の「詳細版」が、選挙管理会のミスにより、私が指摘するまでの3月26日から3月29日までの間、JARL Web に掲載されないという不運(かなり抑えた表現にさせていただいています。)や、頼みもしないのに、前会長と私への投票をセットで呼びかけるメールをばらまかれた方もおられ(私は、JARL会計の不正使用には断固反対の立場です!)、選挙ではいろんなことが起きるものだと思いました。何よりも残念だったのは、対立候補の方が、アンフェアな選挙運動を行われたことです!!!!!
  私は、権力闘争にはまったく興味がなく、「楽しくアマチュア無線をしたい!」との思いから立候補しましたが、今後の4エリアの行く先が心配でたまりません。そこは、皆さんとともにしっかり見てまいりましょう!


◆ 3局目!  <2024/4/19>  
  8J4SNP8J4Y7φAに続き、QRPデー特別記念局8J4VLPが開設されることになりました。岡山県内から記念局が、(4月20~21日の2日間だけとはいえ)3局同時に運用される事はこれまでになかったことです。詳しくは、JARL Web をご覧ください。

 ※ JARL Web → 令和6年度 記念局 (jarl.org)


◆ ひらめいた!  <2024/4/10>  
  私が、JARL岡山県支部の活動にかかわるようになったのは、2009年でした。支部役員に、県北で開催された「ハムの集い」に誘われ、ついて行ったのが運の尽き、いつの間にやら岡山県支部の役員待遇にされてました。(このあたり、支部の先輩役員はうまい!) そして、2010年から正式に役員となり、広報を担当することになりました。
  広報となれば、ホームページの管理は避けて通れません。が、しかーし、ホームページの作り方など教えてもらったことがありません。ソフトウェアもいろいろあるようですが、人に聞いてもどれがいいのやらさっぱりわかりません。<ゼロから始めるんだから、どれでも同じよ!> とばかり、名前をよく聞く「ホームページ・ビルダー」を購入しました。そして、Mac に Windows7 を入れて、Boot Camp で使用することにしました。(これが既にややこしいじゃろー! 当時のMacは、CPUがintel社製のため、iOSとWindowsのどちらでも受け付けたが、現在はApple CPUに戻ったため、この技は使えない。)
  しばらくマニュアルを見ながらつついているうち、わからないながら <はは~ん、なんだかお正月にやる「福笑い」と同じだな。> と思いました。画面(ページ)に、素材である絵やボタンを並べて、文字を書き込んでいけばよさそうなのです。それと、ページをジャンプでつなぐ「リンク」の方法などなど、アウトラインが見えてきました。
  そして、まずは「トップページ」を作らなければならないらしいこともわかりました。ここに至るまで、1週間はかかったのではないでしょうか? 
ページ・レイアウトのサンプルを見ていたある日、<そうだ、アマチュア無線のHPなんだから、リグのパネル面のデザインにしたらどうだろう!> とのアイディアがひらめました。以後、使えそうな部品(素材)を見つけて、コチョコチョ作り上げたのが、現在のJARL岡山県支部のトップページです。ベース色は、岡山県の有名な葡萄マスカットオブアレキサンドリアの黄緑色と、「晴れの国」の空色にしました。もう、14年になりますが、若干のマイナーチェンジはあったものの大きくは変わっていません。本当は、フルモデルチェンジを考えたのですが、今以上のよいアイディアが浮かばず、そのままになっています。最初にリグのパネルにしたことは、後から考えれば大正解でした。もともと操作性を考えて配置が決まっているので、それを取り入れたことで、見やすいトップページになったと自負しています。
  ところで、HPといえばJARL Web がありますが、その中のARDFに使われている写真は、2014年11月15日に、広島県福山市で開催された「全日本ARDF競技大会」で私が写したものです。当日の写真一式を実行委員会に提供していたので、その中から採用されたようです。(使っていただいて、ありがとうございます!) 同大会では、JARL岡山県支部役員の多くがスタッフを務めさせていただきました。
  こんな経緯のある支部HPですが、支部会員のみなさまへの情報提供のお役にたてば幸いです。

  ※JARL岡山県支部HP 「アーカイブ」 → こちら

◇ 日本人とは?  <2024/4/4> 
  この文章をアップしようとした矢先、事態があらぬ方向へ動き出し、一時はボツにしようとも思ったのですが、あえて公開させていただくことにしました。

  以下は、2月初旬の原稿です。↓↓
  去る1月22日、「第56回ミス日本コンテスト2024」の最終審査が開かれ、椎野カロリーナさん(26)がグランプリに輝きました。椎野さんは、ウクライナ生まれで、5歳の頃から日本で育ち、昨年日本国籍を取得し、現在モデルとして活躍されています。

  ミス日本コンテストは、「日本らしい美しさ」を磨き上あげ、
 社会で活躍することを後押しする日本最高峰の美のコンテス
 トです。         (ミス日本公式HPより抜粋)

  椎野さんは、「気づいたら日本語が話せて日本人として生きていた。(周囲の言動で)初めて見た目がちがうことに気づきました。」と言われています。簡単にいえば、身体(ハード)はウクライナ人、言語や文化といった中身(ソフト)は日本人ということになります。
  早速SNS上では、「彼女は日本人ではないと思う。」とか「日本国籍があるのだから、日本人。」「スポーツ選手にも、日本人として活躍している人が多くいる。」など、いろんな意見が飛びかっているようです。コンテストは、審査基準に基づく結果なのでしょうから、「ミス日本グランプリ」は揺るがないと思います。
  みなさんはどうお考えですか? 私はというと、「即答できない自分」がいました。逆に、自分が日本人であることを説明しようとすると、両親が日本人であるから・・・というくらいで、明確に説明できません。悶々と考え続けていたとき、アマチュア無線の「グローバルに考える」とのエッセンスをポトリと落としたところ、目の前がスーッツと開けて来ました。
  日本人だとか、〇〇人だとか、人種や国籍に縛られるのではなく、「地球人」との観点に立てば、そうしたことはあまり意味を持たなくなります。見た目が日本人ではないとの意見の人は、過去を向いて日本人の特徴をとらえているのではないでしょうか?
  10年くらい前になりますが、普段あまり利用しないJRで岡山駅から倉敷駅に移動した時の事です。ちょうど学校の下校時間にあたり、中学生も多く乗り込んできたのですが、自分の乗っている車両に、明らかにアフリカ系や東南アジア系のハーフと思われる子どもが2人(も)いました。で、彼らは、パーフェクトな岡山弁をしゃべっているではないですか! <ああ、時代はここまで来たんだ。> と思ったものです。
  椎野さんは、「ウクライナに帰っても、言語がほとんど話せない。マインドも違うので、居場所がない。見た目で日本人じゃないと評価されてしまうと、どうしたらいいのかという気持ちになる。」また、グランプリを受賞した際、「日本らしい美しさ、日本の心というものは外見ではなく、人の中に宿るものと考えています。人の心を尊重する、人を見かけで判断しない、そんな社会づくりに貢献していけたら。ゆくゆくは日本の心を海外にも伝えていきたいと思っています。」と話されたそうです。
  椎野さんは、「新しい日本人」を代表しているのではないでしょうか? 未来を向いて考えた時、椎野さんのような方は、今後どんどん登場して来ることでしょう。そして自分も彼らを、「これが日本人なんだ!」と自信をもって世界に言える日本人でありたいと思います。
  ↑↑ 2月初旬の原稿は、ここまで。

  その後、椎野さんは、プライベートな事柄がマスコミで報道されたことをきっかけに、「ミス日本グランプリ」を辞退することになったのです。ここではプライベートな内容については記述しませんが、そうした内容を報道するのは、個人的にはいかがなものかと思います。だって、誰も幸せにはならないのですから・・・。椎野さんは、「ミス日本グランプリ」としての活動が今後できないとご自身で判断されてのことだと思います。
  このことで私の頭に浮かんだのは、「大いなる力には、大いなる責任が伴う。」(映画、スパイダーマンに登場するセリフ。)です。
  今回の事は、二つに分けて考える必要があると思います。椎野さんが、日本人として「ミス日本ブランプリ」に選ばれたこと、これは揺るぎません。椎野さんは、日本人です! また、プライベートな事柄で辞退に至ったことは、誠に残念ですが、厳しい現実です。(過去にG7サミットの出席者のスキャンダル報道がありましたが、日本よりも西洋の報道機関の論調の方が厳しかったのを覚えています。)
  NHK大河ドラマ「光る君へ」の中で、主人公のまひろ(紫式部)の言葉、「(人の道を説いている論語、荀子、墨子などに詳しく)誰よりも博学な父上なのに、父上はその逆ばかりなさっています(藤原兼家の冠者をしている。)。」に対し、藤原宣孝(のちのまひろの夫)は、「それは、父上も人だからじゃ。」と答える場面があります。人には心があり、人を好きになったり、憎んだりします。それを理性という意思の力でコントロールしようとします・・・が、これがままならない。それゆえ苦しみ、そこに多くの文学、音楽、芸術が生まれています。
  椎野さんは、まだ若く人生はこれからです。「日本人」を超えた「地球人」として、今後の人生を歩んでいただきたいと思います。応援します!
  そして、年を重ねて、いつか中島みゆきさんの楽曲「時代」を聴けるようになるといいですね。

◆ 初めて×3  <2024/3/30>  
  この季節になると思い出すことがあります。
  1988年3月20日、瀬戸大橋博'88・岡山の会場内に設置された特別記念局8J4XPOの開局式が、JA1AN JARL原会長(故人)をお迎えして行われていたちょうどその頃、私は、太平洋上を飛行中のエア・ニュージーランドB747の機内でした。幸運にも、倉敷市と姉妹都市関係を結んでいるクライストチャーチ市を、もう一人と共に訪問する機会を得たのです。私にとって、初めての飛行機、初めての外国、初めての実践英会話と、初めてずくしのドキドキ、ワクワクの旅でした!
  経由地のオークランドが近付いたとき、「空港の消防士がストライキ中のため、当機はオークランドには着陸せず、直接クライストチャーチに向かいます。」との機内アナウンスがありました。早くもハプニング発生! <ええー! 消防士がストライキするのぉー?> 日本では考えられない事。でも私たちにとっては直行便になってラッキーでした。
  無事ホテルに到着すると、クライストチャーチ市の秘書課のM氏から電話がかかってきました。初英会話が電話になってしまいましたが、アマチュア無線をしていたおかげで、抵抗はありませんでした。M氏は、到着が早まったため迎えに行けなかったことなどを、私が理解できているかどうか確かめるように、ゆっくりと話してくれました。翌朝8時に迎えに来ていただける約束をして、無事、初英会話は終わりました。
  芝生の中庭がある平屋建てのホテルでしたが、向かいの廊下では女性の左官さんが壁を塗っていました。日本では、女性の仕事とは思えませんでしたが、当時人口330万人(四国の人口と同等)のZLでは、人手が必要なんだと感じました。最近、女性首相が産休を取ったことが報じられましたが、ZLは女性の社会進出が顕著です。
  2日目は、クライストチャーチ市長への表敬訪問から始まります。さて、30分間の市長との英会話をどうするか? 私は、開通が間近かに迫った瀬戸大橋の英文パンフレットを持参して、それで時間を稼ごうとの作戦で、これが成功しました。また、当時珍しかったSONYの8ミリビデオカメラを武器に、倉敷市長へのメッセージをもらったりで、何とか切り抜けました。
  その後、スポーツ施設などを見学し、最後は、クライストチャーチ市議会の傍聴でした。市議会は、夕方から皆で軽い食事を取ってから始まるのが伝統です。食堂へ向かう廊下でM氏が、「ナニヲ、オメシアガラレマスカ?」と日本語で聞いてきたので、とっさに「In Roma as romans do. (ローマでは、ローマ人のようにふるまえ。⇒ 【諺】郷に入っては郷に従え。)」と答えました。彼は笑っていましたが、<この日のために覚えてたんだ~!> と思いました。その後、午後8時まで議会を傍聴して、途中でホテルに帰りましたが、まだ時差ボケがあったので、眠くて仕方ありませんでした。
  3日目、私のホームステイ先であるS副市長のオフィスで、もう一人のホームステイ先のC人事部長とI建設局長の5人で、今後の予定について打合せをしました。冒頭、副市長から「今回来た者は、流ちょうな英語をしゃべるそうだな。」と言われました。こちらから話しかけなければ、話してくれないと思ったので、あれこれ質問していたのが伝わっていたのでしょう。私は「流暢?」と、とぼけました。また建設局長からは、「エイジ、君はずっと市役所で働くのかい?」と尋ねられました。「ええ、たぶん。」と答えると、「それがZLとは一番違う! 君のようなエンジニアは、市役所から出て行くだけでなく、ZLから出て行って帰って来ない。それが一番の問題なんだ。」エンジニア不足の苦悩をしみじみと語る建設局長の言葉が印象的でした。
  その後、いろんな部署を案内してもらいましたが、担当者が1時間おきに変わるので、相手の英語に慣れたと思ったら次、・・・という繰り返しでした。でも、自分に向かって話してくれる英語は、意外にもよくわかることは発見でした!
  4日目は、C人事部長ご夫妻が、アーサーズ・パス(西海岸へ抜ける峠道)への日帰り観光に連れて行ってくれ、帰りには夫人のご両親が経営している農場も見学させていただきました。 (農場で使うのか、前面に散水パイプを取り付けたクラシックカー「T型フォード」があった!)
  5日目、午前中は、建設局長自らの運転で、水道のポンプ施設(クライストチャーチは湿地帯の上にあり、市内各所のポンプ場で地下水をくみ上げてそのまま配水している。)などを案内していただきました。
  午後の自由時間について、事前に希望を聞かれていたので、迷わず「趣味でアマチュア無線をしているので、アマチュア無線家の方に会いたい。」と言っておいたところ、NZART(ニュージーランドのアマチュア無線連盟)のクライストチャーチ支部長のC氏と会えるよう、アレンジしてくれました。
  市役所に迎えに来てくれた、ちょっとシャイなC支部長(NZテレコムの社員)は、以前市役所にも勤務していたそうで、副市長とも顔見知りのようでした。(それぐらいクライストチャーチは狭い!)彼らの平屋建てのクラブハウスを訪れると、4名のクラブ員が出迎えてくれました。その中には、出発前に、ZLとスケジュールQSOをされている岡山市のMさんから預かったQSLカードの局や、市議会議員の方もおられ、彼らの活動を聞くことができました。ZL初のVHFレピーターや1mぐらいの大きなモールスキーなどの展示もありました。(これらは、1988年のCQ誌、ローカルトピックスに掲載されました。)また、黄色い屋根付きトラックの内部には、アマチュア無線機のほかに、軍や警察の無線機が取り付けられていて、「遭難者の捜索などでは、軍や警察と協力して対応するんだ。」との説明がありました。日本では、ようやく社会貢献が可能になりましたが、ZLでは、アマチュア無線も社会活動の一端を担っていると感じました。最後にハムショップに連れて行かれましたが、壁に真空管の入った箱がズラリと並んでる様子は、ソリッドステート化が進んだ日本では見かけない光景でした。
  ZLは農業国です。街なかを走っている車は、日本ではとても車検を通りそうにないものばかりでした。大聖堂(2011年の地震で倒壊。)広場に、1台だけ展示されていたトヨタMR2の価格は、日本の2倍。しかし、上等なシープスキン(羊の毛皮)は、日本の1/3でした。おそらくアマチュア無線は、高価な趣味に違いありません。
  夕方、S副市長(60歳前後)に連れられて、彼の自宅へ帰ると、玄関先に出迎えた夫人とハグしながら、「帰ったよ~!」ブチュ~ッと熱烈なKissをされたので、旅行鞄を持ったまま、まだ独身だった私は、どこを見たらよいのかと、オロオロしました。その夜は、夕食後、3人いる娘さんの長女が連れて来たボーイフレンドと3人で話して過ごしましたが、一つ上の世代と会話してる感覚を持ちました。
  休みの日には、何をしているかと尋ねられたので、TVを視るかドライブだと答えたところ、つまらなそうな反応でした。(当時、クライストチャーチでは、TV放送は2chあるだけで、しかも放送時間は夕方からだけ。「片方のchが話したことを、すぐにもう一方のchが繰り返している。」とのジョークも聞きました。) じゃあ逆に、何をしているのだと尋ねると、ピクニックやスポーツ、ガーデニングだとの答えでした。どうりで、ラグビーのオールブラックスが強く、クライストチャーチがガーデンシティーと呼ばれる訳がわかった気がしました。
  最終日、C人事部長夫妻などに送られて空港へ着くと、空港のスタッフがC部長に話しかけて来ました。聞けば空港も市の管轄とのことで、顔見知りのようです。(ラジオのニュースでも、C部長の名前を聞いた。)それもそのはず、丘の上から見下ろすと、広大なカンタベリー平野の中に、クライストチャーチ市街地がポツンとあるだけで、周囲には町はありません。市=州(県)なのです。

  ニュージーランドは、トム・クルーズ主演の映画「ラスト・サムライ」や「ミッション・インポシブル」のロケ地でもあります。イーサン・ハント(トム・クルーズ)と妻ジュリア(ミシェル・モナハン)の出会いの地、美しいワナカ湖もここにあります。
  2001年、私はハネムーンで再びクライストチャーチを訪れましたが、建物がすっかりきれいになっていたり、走っている車も古いものは見られなくなっていました。治安は少し悪くなったとは聞きましたが、それでも安心して観光できる国の一つです。トレッキングなど、美しい自然をゆっくり楽しみたい方にはお勧めです!

◆ 特別局がもうひとつ!<2024/3/23> 
 
 もうひとつ特別局の開設が決まったとのニュースが入ってきました!
 
 「矢掛町合併70周年記念特別局 8J4Y7φA」です。JARLが開設する局で、開設期間は、2024年4月1日~2025年3月31日です。
  同時期に、岡山県内から記念局が2局も運用されることは、JARL岡山県支部長としては、嬉しい限りです。
  アワードも発行されるようですので、詳しくは次の矢掛町のHPをご覧ください。 ↓↓
  アマチュア無線通信で全国へ「宿場町やかげ」の魅力をPR|矢掛町公式ホームページ (town.yakage.okayama.jp)

◆ 
8J4SNP QRV !  <2024/3/16>  
  本日10:01から、8J4SNPが運用を開始しました!
  倉敷市と玉野市の市境にある山域「王子が岳」の新割山山頂芝生広場に、ステージや椅子席を設置した式典会場は、バックに備讃瀬戸と瀬戸大橋ルートが見渡せる抜群のロケーション(電波も)です。運用テントの目の前には、幅員3mのアスファルトの舗装道路があるのですが、その向こうは倉敷市で、こちら側は玉野市です。(王子が岳は市境が複雑なため、移動運用をされる方は、地図で十分ご確認ください。)
  午前9時頃には風があって寒い中での設営作業でしたが、10時を過ぎた頃には風もやみ、ポカポカ陽気になりました。
  でも、ち、近い! 式典ステージの音響設備のスピーカーが! その距離30mぐらいでしょうか? 案の定、セレモニー中はまだよかったのですが、アトラクションが始まると、司会の女性のテンションが上がったうえ、ボリュームも上がった模様で、とても運用できませ~ん!!
  というような事情で、お待ちいただいた皆様には、十分なサービスができず、申し訳ありませんでした。
  倉敷市長が通りかかって、「これで式典を中継したの?」との質問があったのですが、めっそうもない! <この人、元総務省の課長様なんだけどなぁ・・・。>
  来賓として出席されていた環境省中国四国地方管理事務所長様(同行の「後援申請」を提案していただいた担当者の方にも。)には、環境省後援承認のお礼を直接申し上げました。(8J4SNP開設のキーは、これだった!)

  今後8J4SNPは、岡山県→広島県→山口県→岡山県と、持ち回りによる運用を行います。機会がございましたら、運用にご参加ください。(お問い合わせは、各県支部長まで。)
  なお、明日3月17日(日)は、王子が岳レストハウス(倉敷市)から、公開運用&体験運用(主に7/144/430MHz帯)を行います。お時間のある方は、ぜひ運用にお越しください。
◆ 届きました! <2024/3/15>  
  先ほど15:30、「瀬戸内海国立公園指定90周年特別局・中国」の免許状が、郵送で届きました! これで明日の記念式典会場からQRVできます!! やぁ~、ハラハラしました~。
  コールサインは、10年前と同じ「8J4SNP」です。ただし、総務省のWebサイト「無線局等情報検索」で検索しても、タイムラグがあって1週間程度は出てきませんが、パイレーツ(偽物)ではありません!
  3月16日の記念式典では、9時~12時の運用予定ですが、特別局の開設条件として「体験運用」を求められていますので、ご協力のほどよろしくお願いします。
  本格的なサービスは、翌日以降になります。
  皆様、どうぞよろしくお願いします!!

◆ やったぁ~! <2024/3/12>  
速報
  本日16:54、JARL会員課から電話があり、「瀬戸内海国立公園指定90周年特別局・中国」の免許状が交付されることになったとの連絡がありました!!!!!
  事務手続きに時間がかかるため、開局はもうしばらく先になります。皆様、おまちください!
  総務省中国総合通信局様、環境省中国四国地方環境事務所様、岡山県様、児島商工会議所様、JARL会員課様、その他関係の皆様、ありがとうございます!!
◇ 国際女性デー  <2024/3/8>  
  今日、3月8日は、「国際女性デー」です。国連が、1975年に記念日として制定したものですが、恥ずかしながら、私がそれを知ったのは、2008年のことです。家内とのベトナム旅行で、ハノイに到着したのがたまたま3月8日で、夜遅いにもかかわらず街なかは、仲良くバイク(ベトナムでは、「HONDA」と呼ばれていて、普通名詞化しているらしい。)に乗ったカップルであふれていました。現地の女性添乗員から「ベトナムでは、男性から女性に花を贈る日である。」と聞かされました。さて、日本では、NHKラジオの「今日は何の日?」で取り上げられた程度です。(ちなみに昨年は、お昼のニュースで、「日本の女性の地位は、先進国で最低である。」と伝えられた。)
  以前訪れた時には、みんなヘルメットを被っていなかったことを尋ねると、「法律が変わって、1ヶ月前から着用が義務化された。」とのことです。どうりで、みんなピカピカのヘルメットを被っているはずです!
  私が初めてベトナムを訪れたのは、1996年でした。それまでは、ベトコンやベトナム戦争など、あまりいいイメージは持っていませんでした。最初の3日間は、中国にしか見えなかったのですが、そのうちドラゴンの装飾など、少しずつ違いがわかるようになりました。識字率も高く、朝早くから一生懸命働いている人々の様子には、好感が持てました。自分が日本人であると知ると、みんなとても親切にしてくれました。最初は、<商売絡みでは?> と疑ったのですが、どうやら戦後の復興など、アジアのリーダーと見てくれているようです。(ベトナムが社会主義国であるのは、あまり関係ないらしい。)
  海岸沿いに南北に長い国土のせいか、ダシを使ったベトナム料理も美味しく、帰る頃には、すっかりベトナムが好きになっていました。訪れる前と後では、イメージが180度変わり、こんな国は知りません。それで、二度目の訪問となったわけです。
  南北で気候も違い、南はフランスの植民地時代の影響で、フランスパンが美味しく、会議ではコーヒーが出されるのに対し、北ではお茶が出てきます。南の添乗員の車は、ダナンからハイヴァン峠を越えて北に入ったとたん、安全運転になったのは、気のせいでしょうか? ホーチミン市(南)とハノイ市(北)には、それぞれ戦争博物館がありますが、南は米軍がいかに悪辣非道であったか(枯葉剤による無脳児のホルマリン漬けがあり、世代を超えて影響している。)を展示しているのに対し、北は、ゲートに撃墜数を示す5つの赤い星が付いたミグ戦闘機が展示されているなど、ベトナム軍がいかに勇敢であったかをテーマとしているのが対照的でした。
  12年ぶりに訪れたベトナムの変化たるや、大変なものでした。まず、ハノイのノイバイ国際空港は、コンクリートの床と木枠の窓だったのが、前年、ガラスとメタルのピカピカな近代建築に変わっており、建設中だった高架橋の高速道路も完成していました。添乗員の話では、いずれも日本のODAによるもので、ベトナムの人は皆知っているとのことでした。ハロン湾(海の桂林と呼ばれる)沿岸には、1つしかなかったホテルがいっぱい立ち並び、わずかだった観光船も400隻がひしめく状況になっていました。ハノイ中心部では、1基も機能していなかった信号機が、ちゃんと稼働していたり、ハノイ初の30階建ての高層ビル(1997年、映画「007 トゥモロー・ネバー・ダイ」に登場。)が建築中だったのが、そこかしこに高層ビルが立っていたり、発展のスピードには目を見張るものがありました。
  ベトナム人は小柄で、ホーチミン市の西のクチには、ベトナム戦争当時の地下トンネルが再現されていましたが、大柄なアメリカ人が通りにくいよう狭く掘られていました。クリッとした目のお人形さんのような顔立ちが、ベトナム美人の特徴で、日本人の目からは年齢よりも若く見えます。南国の日差しの中で見る民族衣装のアオザイ(白は、学生や独身女性とのこと。)は、とてもきれいです!

  もしベトナムに行かれることがあれば、アマチュア無線家の皆さんには、ホーチミン市にある統一会堂(旧大統領官邸)をお勧めします。今まだあるかどうかわかりませんが、地下にベトナム戦争当時の司令室や通信室があり、無線装置がたくさん展示されています。
  旅行ガイドブックにも「東南アジアで一番安全な国」と書かれているベトナム。お勧めです!

◆ 追悼に寄せて <2024/2/28>  
  昨年から今年1月にかけて、かつてJARL岡山県支部長を務められた方々の訃報が続きました。ここでは、それぞれの支部長さん当時を思い出し、追悼に代えさせていただきたいと思います。

 ○ 武鑓支部長 昭和61(1986)年~平成15(2003)年
  昨年9月に、JA4RE武鑓久治さんが亡くなられました。私が武鑓さんのことを耳にしたのはかなり早くて、小学校低学年の頃だったのではないでしょうか? 何をかくそう私の父は、私が10歳の頃まで、武鑓さんのお父さんが経営されていた繊維会社に勤務していたのです。父からは、「社長の息子さんは、大けえアンテナがちーたジープに乗っとんじゃ!」と聞かされていました。私は、武鑓さんのお父さんの会社からのサラリーでミルクを買ってもらっていたことになります。
  アマチュア無線での出会いは、私が「瀬戸大橋博'88・岡山 特別記念局 8J4XPO」の実行委員会に参加した1987年でした。T実行委員長のもと、20m高の2基のアンテナ・タワーの基礎を皆で手掘りしたことから始まり、広報・運用部長として、県内のアマチュア無線クラブの皆さんとともに博覧会場内の展示ブースで165日間、特別記念局の管理運用にあたりました。博覧会終了後、実行委員会では郷土の歴史として記録するため「8J4XPO記念誌」(私は、写真撮影、挿絵、編集を担当。巻末には、8J4XPOに携わられた皆さん328名のコールサインとお名前が掲載されています。)を作成し、岡山県立図書館と倉敷市立図書館に寄贈させていただきました。
  また、武鑓さんは、倉敷市との間で「アマチュア無線による災害時応援協定」を平成14(2002)年5月16日に締結され、これが岡山県支部が自治体と締結した最初の協定となりました。

 ○ 宇根山支部長 平成16(2004)年~平成19(2007)年
  今年1月、JF4OVU宇根山竜二さんが亡くなられました。宇根山さんとの出会いは、私が、某市(こう表現してもバレバレですが・・・。アマチュア無線では仕事の話をしないのが一般的ですが、内容の関係からお許しください。)の防災危機管理室に配属1年目の、1月の事でした。休みを取った翌日出勤すると、上司から「昨日、アマチュア無線連盟の人が2人来られて、レピーターの設置について相談があったが、どう判断したらよいか?」と尋ねられました。後日、再度お越しいただいて詳しく話を伺ってみると、4エリアのJARLの直轄D-STARレピーターを倉敷市が管理している防災行政無線の中継局内に設置させてもらえないかというものでした。まだ4エリアだけが未設置で、5月20日に倉敷市児島で開催されるJARL総会までに開局したいとのこと。あと4か月しかありません!
  ずっと私はJARL会員でしたが、8J4XPOに携わったとはいえ、岡山県支部の役員ではありませんでした。<特定のクラブ局のレピーターなら難しいが、JARL直轄局であれば、市として受け入れやすい!> そのあたりを上司に説明し、市長までの決裁文書の作成にかかりました。このとき拠所(よりどころ)となったのが、武鑓さんの協定で、「災害時の市民の通信手段を確保する」ことを目的として、行政財産の使用許可申請としました。
  さて、次なる関門は、市長までの決裁印を得ることです。急ぐ必要から、決裁文書を持ち回りで行うことにしました。ハードルが高いと思いつつ、消防局の某課長の所へ行くと、「おや梶田さん、何ですか?」と声をかけられました。それは、消防アマチュア無線クラブの方で、長年倉敷音楽祭で、私たち市役所ハムクラブと合同で公開運用を行っていた方だったのです! すぐにハンコをもらえました! こんな具合で、超特急で市長決裁がおりました。
  また、偶然(本当です!)東京出張の機会がありましたので、JARL技術研究所長のMさんを尋ねて、直接話を伺うことにしました。お会いするや否や、Mさんは、「お久しぶりですねー!」と迎えていただきました。Mさんは、8J4XPOを訪れていただいていて面識があり、D-STARの開発段階から今回の直轄レピーターまで、詳しいお話を伺うことができました。ひとしきり話が終わってから、「(JARLが管理する人工衛星の)管制局をご覧になられますか?」と、すぐ隣の設備を見せていただきました。8J4XPOでは、JARLのご厚意で、JAS-1b(1990年2月7日に打ち上げられ、「ふじ2号(FO-20)」となりました。)を実機展示させていただいており、それを覚えていただいていたのでしょう。
  さて、次はレピーターの工事です。標高285mの山頂には、電話回線などありません。無線LANで麓まで中継して、インターネットに接続する方式がとられました。
  平成19(2007)年5月11日 17:40、D-STAR倉敷レピーターJP4YDVが産声をあげました! どこから聞きつけたのか、開局を知った方が、早くも利用され始めました。
  JARL総会の前日の5月19日には、前泊で岡山入りされた多くのD-STARユーザーの皆さんが、JR岡山駅(距離25km)近くのホテルなどから盛んにアクセスされ始め、現地で最終調整を行っていたメーカー担当者も驚かれていました。私は、防災危機管理室を出たのち、JP4YDVの管理団体に加わりました。(残念ながら、現在JP4YDVは、近隣でWi-Fiが普及したことから、輻輳によりゲート超えができにくい状態が続いています。)
  第49回JARL通常総会は、宇根山支部長の開会宣言と、JA1AN原会長(当時・故人)の主催者挨拶で始まりました。地元市長の歓迎挨拶もありましたが、その挨拶文を作成する役が、私に回ってきました。私は、JARL60年史の「アマチュア無線のあゆみ」の記述から、全国に6箇所設置された日本初の海岸局のひとつが、開催地の児島にあったこと、また、8J4XPOが運用されたことを折り込みました。

  こうしたことを思い返していると、それぞれの支部長がなされて来た事がつながっていることがわかります。<私も、支部長としてしっかり受け継いで行かなければ!> と改めて感じました。
  お二人のご冥福をお祈りいたします。

◇ おめでとうございます! <2024/2/17> 
  今日は、快晴無風のいいお天気だったので、朝から畑の雑木の撤去作業をしていたところ、ご近所のFさん(おらが村のハム第1号。弟さんは、以前CQ誌にページを持たれていました。)と昔話になりました。Fさん曰く、「60年以上前、この村でテレビがあったのは、お宅ともう一軒だけ。相撲の時間になると縁側の戸を開け放ってくれるので、皆で視せてもらいに行きょーった。」 答えて私は、「あれから60年、今はスマホまで来ましたねー!」
  そんな話をしているところへ、いつも農作業時に聴いているNHKラジオのニュース速報が入りました。「日本の新しい主力ロケット「H3」2号機が、先ほど午前9時22分、種子島宇宙センターから打ち上げられました。」
  <ああ、そうだった。忘れてた!> と、すぐにスマホで、YouTubeのライブ中継を視始めました。既に3分くらいが経過していて、地上からはロケットをとらえることはできません。その代わりロケットから送られて来るテレメーター・データをもとに、リアルタイムでCG画面が表示されます。これがちょーリアル! 青い地球をバックに、予定軌道をなぞるように飛行を続けるH3が表示され、1段目の燃焼終了ポイントや2段目の燃焼終了ポイント、衛星投入ポイントなどが表示されています。1年前の表示画面とは比べ物にならないくらいよくわかります。「行けぇぇぇー!」などと、視聴者(18万人が視聴中との表示あり。)からのメッセージが、画面右側に高速で流れます。
  「1段目燃焼終了。2段目燃焼開始!」のアナウンスのバックに、「ワー!」という管制センターからと思しき歓声も聴こえました。1年前には、ここで着火せず、失敗になりました。このため、関係者はまだ慎重です。
  シロウト考えですが、1年前は「異常電流を検出したためコンピューターが着火信号を出さなかった。」とのことですが、そもそも遥か上空にロケットはある訳で、「着火中止=失敗」なのですから、着火しないという選択肢はないと思うのですが・・・HW?
  2段目燃焼継続、時速18,000km(マッハ15)、高度690km(国際宇宙ステーションの軌道400kmより高い。)。さらに速度は上がっていきます。ただ、2段目の燃焼終了時刻が近づいたころ、速度は上がっているのに、高度が少し下がり始めました。気になりましたが、H3は南に飛行していて、赤道付近は自転の遠心力の関係で、地球の半径が少し膨らんでいる影響かもしれません。
  「2段目、第1回燃焼停止。」のすぐ後に「衛星投入。」のアナウンスがあると、管制センターでは、関係者が笑顔でハグし合う光景が見られました。1年前の失敗後、関係者のプレッシャーはいかばかりであったことでしょう! 心からおめでとうを申し上げます!
  あと一つ、私には気になることが・・・。それは、前回の打ち上げの模様を50km離れた所を飛行中の旅客機から、動画撮影に成功された方がおられたことです。早速Flightrader24(航空機の位置情報を見ることができるフリー・アプリ。)のPlayback機能で確認したところ、Japan Air Commuter 鹿児島~屋久島便が高度1300mで、西方20kmに迫っていました。また、Jin Air のグアム~ソウル便が高度10,000mで、東方約100km付近を通過中でした。<ちょっと遠いかなぁ?>
  ・・・ やはりありました! Xに、左の翼の向こうに、雲海を抜けて青空へ上昇を続けるH3をとらえた49秒間の動画が!
  本日は、これまで! めでたし、めでたし!!

◆ 参加しました!  <2024/2/10> 
  2月4日(日)、広島県健康福祉センター(広島市)で、「2023広島県支部ハムの集い」が約100名の参加で開催され、私は来賓として出席させていただきました。
  会場は、広島エフエム放送㈱のすぐ隣。同局は、県域FM局の先駆けとして開局(1982年12月5日)しました。当時、私の聴き方はちょっと変わっていて、サービスエリア外のため、いったん自宅の5エレ八木で受信し、カセットテープに留守録したものを、通勤時のマイカーで聴いていました。時々リクエストはがきも出していて、私のこの聴き方も紹介されました。お蔭で、苦手だったヘビーメタルも聴けるようになりました! 見学したかったのですが、日曜日であいにく玄関は閉まっていました。残念!
  さて、当日来賓としては、吉富・総務省中国総合通信局無線通信部陸上課・上席電波検査官のほか、JARLからは森田会長、松田中国地方本部長、小川山口県支部長、河上島根県支部長が出席され、深坂鳥取県支部長は奥様の四十九日の法要のため欠席でした。
  10:00、集いは、JJ4KME古城広島県支部長の開会挨拶でスタートました。
  続いて、森田会長が挨拶され、今後は情報開示と組織運営の透明化を2つの柱として進めて行きたいとし、制度改正による体験運用については、OMにも積極的に運用を行っていただくことでアマチュア無線を始めるきっかけを作っていただくとともに、ニューカマーの育成に取り組みたいと述べられました。
  次に、松田中国地方本部長が挨拶され、広島県支部の会員数は1,359 名で、これは中国・四国・九州地方では福岡市の次であるとの紹介がありました。
  続いて、古城広島県支部長から令和5年度の活動報告があり、JA4RLの運用(3回)や「1・2アマ受験勉強会(6名参加)などについて報告されました。
  また、JN4THO楢崎会計から、支部会計報告がありました。
  ここで、参加者全員で写真撮影を行ったのち、11:00から講演に移り、中国総合通信局・吉富上席電波検査官から、昨年の制度改正について解説がありました。
  続いて、展示出展されているメーカー等から提供されたノベルティ・グッズの抽選会が行われたのち、昼休みに入りました。
  13:30からは、JR4DHK山本さんによる「APRS&VoIP(D-SRAE/WiRES-X)入門」では、D-STAR広島レピーターJP4YEBの移設作業のほか、各VoIPモード別に、これまでの運用体験に基づいた大変分かりやすい説明があり、D-STAR倉敷レピーターJP4YDVの管理者の一人としては、参考になりました。
  講演会場の隣の部屋には、各種メーカーや地元ハムショップ、愛好家グループによる展示が行われていてにぎわっていました。
  新幹線で1時間、広島県のアマチュア無線家の皆さんと楽しい一日を過ごさせていただきました。会場には、ハム第3世代の子どもたちもいて、将来が楽しみです。
  みなさん、お世話になりました!!

  ※ JARL広島県支部HP → こちら


◇ フロンティア  <2024/1/30> 
  みなさん、Jujuさんをご存じでしょうか? JUJUさんではありませんよ! JUJUさんは、広島県庄原市出身の女性人気歌手で、4エリアの一人として私も応援しています。楽曲「こたえあわせ」がいいですねー!
  一方、Jujuこと野田樹潤(のだ じゅじゅ)さんは、岡山県美作市(みまさかし)の岡山国際サーキットを拠点に活躍する17歳のカーレーサーです。昨年の国際F3「Zionex F2000フォーミュラトロフィー」で、史上初の女性年間チャンピオンに輝きました。<すごい!> 父、野田英樹さんは、元F1ドライバーということで、これぞDNAのなせる業! 3歳でお父さんからキッズカートを贈られ、5歳からカート、9歳でフォーミュラカーに乗りました。昨年12月に鈴鹿サーキットで開催された、F1への登竜門スーパーフォーミュラの合同テストで可能性が認められ、某レーシングチームのドライバー・シートをゲットしたそうです。
  そのJujuさん、現在18歳を目前に、普通運転免許の取得に向けて教習所に通っているとか。国内の競技ライセンスは、普通運転免許が必要なのです。
  山陽放送TVのインタビューで、レースでは最高時速300kmで走るJujuさんですが、普通車では勝手がちがうようで、「今までウインカーを出したりはないので。」とか、「コーナーを速く曲がったら『速い』って教官に言われる。いつもだったら、もっとコーナーを速く行けと言われるところ(なのに)。」など、レーサーならではの苦労があるようです。

  岡山国際サーキットは、以前は「英田(あいだ)TIサーキット」の名称で、1994年に、なんと「F1パシフィック・グランプリ」が開催されました。その際、F1マシンを空輸するボーイング747(ジャンボ・ジェット)が降りられないとして、岡山県は大慌てで岡山空港の2000mであった滑走路を2500mに延長したとの逸話があります。(これは、翌年発生した阪神淡路大震災で、新幹線の線路が寸断された際、JR岡山駅から747への乗り換え空港として、有効に活用されました。帰りには、2500mでも離陸時に必要量の燃料を給油できず、新千歳空港で途中給油したそうです。さらに2001年には3000mに延長されました。) レース当日、コースには、水色ベースに黒ペンキの手書き文字で「ありがとう、岡山県」と書かれた大きな看板が設置されていました。
  当時F1レースは、古館伊知郎さんの司会で、全レースがTV放送されており、私は欠かさず見ていました。日本では、秋に最終戦が鈴鹿サーキットで開催されていましたが、一国で2回の開催は異例でした。(地球環境への配慮から移動距離を短縮するため、今年から日本GPは春の開催となります。) <岡山県内で開催されるのは、これはチャンス!> と、ドライバーのここ一発の走りが見られる予選走行(これで決勝のスタート順位が決まる。)の観戦チケット(2万円)を手に入れました。
  英田TIサーキットには、十分な駐車場がなかったことから、観客は全員バスで送迎されることになりました。午前4時、倉敷美観地区の観光バス駐車場に大勢の人がゾロゾロ集まりました。たまたま車で通りかかったヤンキー風の兄ちゃんが不審に思ったのか、「何があるんですかぁ?」と聞いてきました。
  ホームストレートのスタンドで、初めて時速300kmを超えるスピードで通過するF1マシンを観ました。エンジン音もさることながら、TVではわからないシューッツというか、フワァァァという空気音を感じて、<これは航空機だな!> と思いました。
  ニコンF3に70~210ミリレンズを着けて撮影を始めましたが、全く撮れている感触がない! まるでバッティングセンターで、豪速球を打っている感覚と言えばわかっていただけるでしょうか? 用意した36枚撮りフィルム4本のうち、1本目はそんな感覚でした。2本目からは少し落ち着きましたが、それでも現像してみるまでは自信がありませんでした。(デジタルカメラが主流になった現在では、考えられない事です!)
  この時、当時人気レーサーだったアイルトン・セナの走りを見ることができましたが、なぜか彼だけが車2つ分、アウト側のラインを走っているのに気付きました。このラインが早いことを知っているのか、他のレーサーはそれがわかっていてもできないのか、今も疑問のままです。ラップレコード、1分10秒218は、現在でも破られていません。それはそうでしょう、翌年開催が予定されていたパシフィックGPは、阪神淡路大震災のためキャンセルとなり、以後F1レースは行われていません。ちなみに、湯郷温泉には、セナが泊まった旅館があり、今でも「アイルトン・セナ・メモリアルコーナー」があるそうです。
  しばらくして、周囲のベンチが、細かな乾燥わかめのようなもので覆われているのに気が付きました。それは風で運ばれてきたタイヤカスでした。また、自宅に帰ってから、その日は耳がキーンとして難聴状態でした。F1のエンジン音はすさまじく、まるで耳元でパンパン手を叩かれている感じでした。会場で耳栓が売られていましたが、買うべきだったと反省しました。
  さて、現像されて戻ってきたリバーサル・フィルムには、何枚かうまく撮れているものがあり、セナのマシンもバッチリ写っていました! と、喜んでいた私に、とんでもない悲報が飛び込んで来ました。1週間後に行われたサンマリノGPで、セナが事故で亡くなったのです。職場で行われた写真展には、黒いリボンをかけて展示させてもらいました。

  ここ岡山県は、人見絹枝さんに始まり、有森裕子さん、一昨日大阪女子マラソンで日本新のタイムで優勝した前田穂南さんなど、伝統的に女子が強いことになってます(汗)。 Jujuさんも、日本人女性カーレーサーのフロンティアとして、必ずや活躍される事でしょう! 応援しています!!

◆ 50年の時  <2023/1/25>  
  私事で恐縮ですが、私はハムになって今年で50年を迎えます。
  私は、目に見えない電波の不思議や、それを扱う電子工学技術に興味を感じていました。中学2年のある日、同級生二人が電話級(現、第四級)アマチュア無線技士の国家試験を受験するというので仲間に入れてもらいました。1974年3月、試験会場の広島大学工学部(当時は広島市内にあった。)を目指しました。新幹線は、岡山駅以西はまだ建設中で、中学生だけで普通列車4時間の旅は、まるで冒険旅行でした。結果はというと私だけが合格という、なんとも皮肉なものでした。でも、彼らがいなければ、私はアマチュア無線の世界には入っていなかったことでしょう。
  試験会場(平屋建て木造校舎)の傍らには、コンクリートの破壊試験に用いられた供試体(15×15×60cmで、黒マジックでひび割れをなぞって、番号が記入されていた。)が放置されていて、<大学ではこんな実験をするのかぁ。> と思いました。私が土木工学に進もうと思ったのは、この時の体験が影響したのかもしれません。
  両親に「高校入学まで、開局はダメ!」と言われ、1年間のおあずけとなりました。半年後、3つ年下の弟も電話級を取得し、二人で50MHz帯のポータブル機で開局しようと相談していました。
  高校に入学後、父親に連れられて、市内のハムショップに行きました。「これがえかろーがー!」と、父が指さした先には、トリオ㈱(現、JVC KENWOOD)のTS-520X(無線機のソリッド・ステート化が進み、ファイナルの真空管以外はトランジスタの当時人気のリグ。)がありました。子ども心にも12万円もする高価なリグを買って欲しいとはとても言い出せず、大変うれしかったのを覚えています。(この時同じようにリグを買いに来ていた高校生と、昨年の「ハムの集い岡山」で48年ぶりに再会しました!)
  以前にも書きましたが、第一声は、1975年6月1日、21MHz帯SSBで、相手は群馬県富岡市の方でした。あとで気が付いたのですが、偶然にもその日は「電波の日」でした! 以来、今日まで切れ目なく、JARL会員としてアマチュア無線を楽しんできました。
  その間、瀬戸大橋博’88・岡山特別記念局8J4XPO実行委員会で広報・運用部長を務めさせていただいたほか、海外運用としては、救急車の無線整備のNGO活動の際のXU(カンボジア。7/21MHz。ハム3人。)や、ローカルのTさんと彼の友人を訪ねて、4L(中央アジアのジョージア。HF、AO-13。日本人として初。当時JAMSAT会員。ハム3人。)からQRVすることができました。また、スクールコンタクト(小学生たちが国際宇宙ステーションの宇宙飛行士と交信するイベント。)を2回実施するなど、多くの貴重な経験をすることができました。そしてこれらのことは、アマチュア無線で知り合った多くの方の協力があったからこそ実現できたことで、この場をお借りしてお礼申し上げます。

  ・・・・・あれから50年。デバイスは、真空管からトランジスタ → IC → LSI と進みました。「そのうちソフトウェアで電波を扱うようになるよ。」と聞いてはいたのですが、今、SDR(Software Defined Radio)として実現されています。「絵の出るレコード」は、レーザー・ディスク → CD → DVD → ブルーレイ のほか、SSDとなり、テレビドラマのウルトラマンに登場した「腕時計形テレビ電話装置」は、スマートフォンとして、メール、写真、動画、SNS、インターネットで世界中とつながることができます。気がつけば、遠くの人と個人レベルで話ができるというアマチュア無線の優位性(特権?)は、相対的に低くなりました。そして、今私が、JARL岡山県支部長をしているなど、想像もしていないことでした。
  今日、日本のアマチュア無線局数は、減少の一途をたどっています。この先若い世代の参入がなければ将来の展望はなく、「絶滅危惧種」との声も聞かれます。しかしながら、W(アメリカ)では、ハム人口は右肩上がりに増加しているという事実もあります。この違いはいったい何なのか? それを考えるのが、今私たち日本のアマチュア無線家に求められていることではないでしょうか?

◆ 災害とAPRS  <2023/1/12> 
  今年は、能登半島地震とそれに伴う津波や火災、さらには羽田空港での飛行機衝突炎上事故と大きなニュースが続き、大変な新年のスタートとなりました。
  JAL機の乗員の冷静な判断と避難誘導もさることながら、火災の煙と熱を感じつつも、パニックに陥ることなく整然とパーフェクトな脱出を行った乗客の協力も素晴らしかったと思います。また、残念にも5人が亡くなられた海上保安庁機は、能登半島地震の被災地への支援資機材の輸送任務にあたっていたと聞き、なんともやりきれない気持ちになりました。
  いつもHF帯で参加しているQSOパーティですが、被災地へ声が届くのがはばかられ、今回はV/UHF帯で運用しました。

  地震発生後、APRS(Automatic Packet Reporting System。GPS位置情報や短いメッセージ、気象観測データなどをアマチュア無線の電波に乗せて送り、I-GATE局がインターネット上のサーバーとの受け渡しをするパケット通信。岡山県支部のトップページにリンクあり。PCやスマホで、最初のみコールサインかニックネームを入力すると、地図上で様々な情報を見ることができるようになる。)を見ると、能登半島部分のシンボルマークが表示されていませんでした。これは平成23年東日本大震災の時、東北地方のシンボルマークがなくなってしまった状況と似ています。原因は、商用電源と通信インフラが失われたためで、バッテリーなどの自主電源があって、アマチュア無線の電波がI-GATE局に届く、ごくわずかの局のみが表示されていました。
  1月8日現在では、七尾市から志賀町のラインより南側までは表示されるようになりました。移動しているモービル局の軌跡を見ると、通行可能な道路が分かります。また、APRSには気象庁などプロの観測データも表示されるため、余震の震源が三重丸のマークで表示されており、地震活動が続いていることが分かります。
  私は、35年前の10月下旬、金沢からレンタカーで能登半島を時計回りに一周したことがあります。1日では周り切れず、七尾市で一泊しました。
  能登半島の北部には、「奥能登丘陵」と呼ばれる山地があるため、144MHz帯の電波を使用するAPRSでは、日本海側からは通信がしにくいのかもしれません。

  ところで、私も2008年から10年間、APRSでウェザー・ステーション(気象観測局。中四国地方で4番目の開設。現在は、経年劣化による故障のため休止中。)を運用していました。
  ある日、PC画面を見ていると、APRSに早くから取り組んでいたローカル局が、バイクで走っているのを見つけました。しばらくして再び画面を見ると、我が家から約50mの所にいるではないですか! APRS局が位置情報などを発信する「ビーコン」に、ワッチ周波数が表示されていたので、私は、2階の窓から彼を見ながら、「JE4***さん、こんにちは!」と呼びかけました。少し驚かれたようですが、その後自宅でアイボールとなりました。
  APRSは、WB4APR Bob Bruninga氏 が1992年に提唱したパケットシステムで、このようにアマチュア無線局の出会いのきっかけを作ることを本来の目的とするものです。
  とはいえ、災害時に通信インフラが失われた場合には、電波とインターネットを組み合わせたリレー方式で、たとえ短くても情報を伝えられる通信手段となりえます。
  近年は、メーカーからAPRS機能を備えた無線機がいくつも発売されていますので、興味のある方は始めてみませんか?

 ※参考になる文献
  「新世界の扉を開こう デジタル&インターネット通信」
  「CQ ham radio 2007年9月号」(ウェザー・ステーション)
    いずれもCQ出版株式会社

◆ 謹賀新年 2024  <2024/ 1/ 1>  
  新年、あけましておめでとうございます。
  昨年は、生成AIが社会の中に大きく入り込んできました。そのスピードもこれまでになく早いもので、そのうち歴史の教科書に「AI革命」として取り上げられるのでは? と思われるほどです。量子コンピューターの開発とあいまって、「学習のスピード」は、人間の予想をはるかに超えたものになるかもしれません。人工知能が「暴走」しないよう、凧の糸ように、人間がしっかり握っておくことが大切ですね。

  と、ここまで書いたところで、能登地方を中心とする地震と大津波警報のニュースが入ってきました。
  新年早々大変な状況ですが、被害に合われた皆様にお見舞い申し上げますとともに、安全に避難されますことをお祈り致します。
  アマチュア無線家の皆様におかれましては、非常通信周波数をクリアにするようお願い致します。

  ※ 非常通信周波数
    3.535 7.050 14.300 21.360
    51.50 145.50 433.50MHz など




 
JARL岡山県支部