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Homepage of the JARL Hokkaido Kushiro Nemuro Chapter

支部管内案内GUIDE

基本方針
このページでは、釧路根室支部管内の様々な名所旧跡、東北海道が果たした電気通信技術(有線、無線)、宇宙空間への誘い、その他の知らざれる名所・旧跡、歴史、話題等を紹介し、広く東北海道(道東)を理解頂く材料を提供します。

どうぞ釧路根室支部の会員アマチュア無線局とのコンタクト時の話題や道東に直接来る場合の参考材料にして下さい。

尚、掲載情報は、新たな発見等が在りましたら追加修正が行われます。また案内内容は、不定期ですが随時追加する予定です。


01 根室地区
「四島のかけ橋」
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[座 標]北緯43°23′11.84″、東経145°48′38.60″、標高12mにある根室市のモニュメント「四島のかけ橋」。
[行政等]管轄が根室市
[所在地] 根室市納沙布
[形 状]底辺長35m、高さ13m、幅3〜5m、総重量171t
[構造等]1980(昭和55)年9月の公募により「デザイン」は晴山 文典氏が最優秀賞に選出され、「名称」は、大和 雪生氏の「四島のかけ橋」が最優秀賞に選出されています。
[工事等]
1980(昭和55)8月起工式、1981(昭和56)年9月竣工しています。又、同時に作られました「祈りの火」の点火台には、沖縄県波照間島で古式に則り自然点火された「火」 が全国縦断キャラバン隊により納沙布まで運ばれて1981(昭和56)年9月に点火台に点火され消えることなく今日も明日へ燃え続けています。
[参 照]独立行政法人 北方領土問題対策協会

02 釧路地区
「まなぼっと」
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[座 標]北緯42°58′40.98″、東経144°28′08.71″、標高44mにあります。
写真正面の巨大な建物が釧路市生涯学習センター「まなぼっと」です。手前のやや右側茶色い建物は、港文館で石川 一(石川 啄木)が釧路新聞社(後の北海道新聞社) に在職していた頃を中心とする様々な資料が展示されています。手前は、釧路川で釧路東港に繋がっています。
[行政等]一般財団法人 釧路市民文化振興財団
[所在地] 釧路市幣舞4番28号
[形 状]10階建て
[構 造]鉄筋コンクリート
[工事等]1992(平成4)年11月1日竣工
[備 考]
JARL第51回通常総会(たんちょう釧路総会)の理事会がこの「まなぼっと」で開催されています。

03 根室地区
「JOC 落石無線電信局跡」
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[座 標] 北緯46°10′14.43″ 東経145°30' 25.76″ 標高47mにあります。
[行政等]根室市教育委員会
[所在地] 根室市落石西
[形 状]局舎は、平屋建
[構 造]鉄筋コンクリート
[工事等]1908(明治41)年12月26日開局
[落石の概略]
写真右手の奥にコンクリート造りの局舎の一部が見えています。又、石碑後ろ方に高さ90mの鉄塔がありアンテナが各方面向けに張られていました。 落石局は、千葉県銚子無線電信局の次に落石無線電信局とて開局し、 日本の無線技術の進歩に大変重要な役割を果たした有名な無線局でした。 JOCの電波は、遠くヨーロッパや南米に達していました。「日本の落石」として広く世界に知れ渡りました。 「JOCを知らずして無線を語るな」と言われるくらいなものでした。

[ハムとの関わり]
ハムと落石電信局との関わりは故笠原功一氏(3AA,J2GR,J1E,J3DD,JFMT,JXIX,JA1HAM,JA3HAMと戦前戦後を通して様々なコールサインを持っていた様です) が1926(大正15)年の春頃にJOC(落石無線電信局)の松平初太郎技士と交信した時のQSLカードが1926(大正15)年8月9日付 根室落石郵便局消印ハガキで残されています。

[落石局の終焉]
幾多の輝かしい記録を残した落石無線電信局も通信方式の多様化、設備の無人化、通信回線の多様化と共に通信量も減少し、 1966(昭和41)年11月1日廃局となり札幌中央電報局に統合されて全ての使命を終了しました。 この様に東北海道は、日本の無線通信技術の先進的役割を果たして来た地域なのです。

[当支部標語解説]
ここでお分かりになりましたでしょうか、なぜ当支部のトップページの標語が「電波は釧根の大地から遥かなる空間へ!」となっているかが。 それは、過っての落石無線電信局の様に未知の場所との有効な通信回線の 確立を求めていった精神を受け継ぎたいと言う事からこの標語にしています。
尚、産業遺産としてぜひ保存して頂きたいものです。

04 釧路地区
海道のアマチュア無線(実験)局発展の善意の功労者
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[座 標] 北緯42°58′40.39″ 東経144°23' 04.83″ 標高25mにあります。
[行政等]
[所在地] 釧路市南大通2丁目2
[形 状]銅像
[構 造]土台部鉄筋コンクリート
[工事等]1930(昭和5)年10月

[嵯峨 久氏の概略]
1876(明治9)年、秋田県で生まれ、根室商業学校終了。
1907(明治40)年、室蘭を根拠地を置き海洋漁業に進出、トロール漁業を営みます。
1914(大正3)年、釧路に最初に発動機船(主にマグロ漁)を導入し大成功を収めます。この功績を称え「機械船の始祖」と言われる様になります。
1925(大正14)年、共立魚菜市場を買収し、三鱗共同魚菜市場を設立して社長に就任し、現在の釧路魚卸売市場に発展させました。
1928(昭和3)年、嵯峨漁港構想を発表して現在の釧路漁港の礎を造っています。
1938(昭和13)年、嵯峨漁港に漁業用海岸局無線局が設置され無線電信機が導入されている。
1940(昭和15)年、釧路国水産会所管施設として、釧路漁業陸上無線電信電話所(呼出符号JKN)が建設される。(⇒釧路漁業株式会社としての事業でした。)
1960(昭和35)年、嵯峨 久氏 死去。

[嵯峨 久氏とハムの関わり]
1927(昭和2)年、嵯峨氏の所有する漁業会社所有の漁船船舶の落成検査にやって来た、札幌逓信局監督無線係長、藤懸 潔氏のアマチュア無線(実験)局 の話を聞いて長男晃氏に、2級通信士なんだから実験局を開設したらどうかと促したのが事の始まりでした。

[嵯峨 晃氏とハムの関わり]
父親である久氏に開局の促しを受けましたが、漁業の仕事が忙しく、漁に時間が出来てから開設する事にしました。開設までやや時間がかかるので、 晃氏は、所有していた送信機・受信機のシステム(両方とも電子管UX112で構成)を藤懸 潔氏に5円と言う破格の金額で譲り渡しました。この破格の善意が北海道のアマチュア無線局の発展に寄与する事になります。
この後、藤懸 潔氏は、1929(昭和4)年4月4日付で呼出符号J7CAとして公式な北海道のアマチュア無線(実験)局第1号局と認可されています。
嵯峨 晃氏は、1932(昭和9)年9月15日付で呼出符号J7CRとして許可されています。

※ 歴史に「もし」と言う言葉は無いのですが、「もし」あの時、嵯峨 晃氏から藤懸 潔氏へ送受システムが破格の値段で善意の譲渡が無ければ北海道の正式なアマチュア無線(実験)局の 開設が更に遅れていたものと考えられます(アンカーバー局を除く)。
※ この様に道東地区は、無線通信技術に関する先進地域であったのです。

05 根室地区
 標津郡標津町
夢のある舞台の故郷
こと座
「ベガへの出発基地」

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[座 標] 北緯43°55′31″ 東経145°03' 9″ 標高5m 付近を想定。
[行政等]町有地(想定)
[所在地] 標津郡標津町忠類番外地(想定)
[形 状]リング構造
[構 造]鉄筋コンクリートの建造物
[工事等]1996年建設

[カール・セーガン(Carl Edward Sagan)氏のプロヒール]
1934年11月9日ニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン区生れ、1996年12月20日ワシントン州シアトル市で他界する。
1960年、博士号(理学博士、天体物理学、シカゴ大学)。
1960年、カルフォルニア大学バークリー校で研究員。
1962年、スミソニアン天体物理観測所の研究員。
1971年、コーネル大学正教授。

[特記]
多数の著作物・啓蒙書があります。
1978年、ビューリッツアァー賞
1981年、ヒューゴー賞
等々多数の賞を受賞しています。
特に1986年6月、新潮社(高見浩、池央耿 訳)刊の「コスモス」は、映画化されワーナー・ブラザーズより世界に配信されています。

[コンタクト]について
「映画コンタクト」は、ロバート・ゼメキス(Robert Lee Zemeckis)監督によって映画化され、1997年7月11日、アメリカで公開され、日本では同年9月13日に公開上映が始まりました。
尚、本ページは、映画の内容を詳細に説明するページではないので要点のみにします。

1964年8月25日、ウィスコンシン州デペアに生まれたエレノア・アン・アローアイ(エリー)博士は、母ジョアンをエリー出産後、合併症で失います。その後、父親を1974年11月10日に 心筋梗塞で失う悲運な運命に会いますが、生来の、理科や数学等自然科学系の能力は抜群でした。エリーは、10才頃、アマチュア無線局の免許を取得、W9GFOの運用を開始します。
エリーは、1979年、飛び級で高等学校を卒業、MITに進学しそこを優秀な成績卒業して、研究者の道に進みます。

尚、映画の中で当初エリーが運用する無線局のコールサインをW9GFZとする予定でしたが、現代電波天文学の基礎を築き上げたグロート・リーバ―(Grote Reber、1911年12月22日〜2002年12月20日)が1930年代後半にアマチュア無線局を開設し運用していました。 彼は、1933年のカール・ジャンスキーによる「宇宙からの電波の発見」に刺激され自作の直径9mのパラボラアンテナを作成、1938年160MHzでジャンスキーが観測した宇宙信号を確認しました。しかし、彼はそれに留まらず更に全天の電波源の調査に着手し 1941年までに観測を終了しましたが、更に充実した物を1943年までに作成しましました。

1957年、彼の使用したパラボラ・アンテナは、アマチュア無線家で天文学者のリーバー氏を称え、ウエストバージニア州にある国立電波天文台に移設され、歴史的記念物として一般に公開されています。

1954年、グロート・リーバ―(グロート・レーバーとも言う場合がある)氏は、オーストラリアのタスマニア島に移住しそこで生涯を終えています。
遺灰は、プエルトリコにあるアレシボ天文台等世界17箇所の電波天文台に分骨されています。
現在、グロート・リーバ―のコールサインW9GFZは、特別な計らいで国立電波天文台によって社団局として運用されています。運用は、特別な日の様で、W9GFZと交信出来たならば非常にラッキーだと云われています。
この様な事から彼の功績を讃え、W9GFZ以外の近いイメージで撮影当時空いていたW9GFOを使用したと云われています。

W9GFOは、1930年代にリチャード・ウイルソン(Richard Wilson)氏に割り当てられ様で、彼の死亡後1999年1月7日からラリー・クレス(Larry Klaes)氏に割り当てられています。

エレノア・アン・アローアイ(エリー)博士は,プエルトリコのアレシボ電波天文台からニューメキシコ州のソロコのVLAに転勤、そこで、こと座(Lyra)のベガ(Vega)から発信された4.4623GHzの信号を捉えます。
その信号(暗号)を解読し、惑星間航行用宇宙機の設計図である事が分かり、フロリダ州ケープケネディー基地に宇宙機を建設する、しかし、教条的宗教テロリストにより爆破され大破する。

大財閥ハリーが買収した企業は、秘密裏に第2号機を建造していました。建造したのは日本の事業団で、建造した場所は、北海道根室振興局管内の標津町でした。一般に知床半島と言っていますが、それは間違いです。 野付半島を逆向きにして標茶町忠類から根室水道を羅臼町方向に伸ばした半島(仮想の半島)と考えると理解しやすいと思います。
宇宙機のコントロール・センターは、標茶町董別付近です。

エリーが宇宙機に搭乗し実験が開始されました。地上の観測者は、ポット(宇宙機)が発射され水面に落下するまでの、ほんの1秒程の時間が観測されたのに過ぎないが、ホット内の観測ビデオは、18時間のノイズを録画していました。
つまり、このノイズの収録時間がエリーが地球からベガまで行き、ベガで体験し再び地球に戻って来るまでの時間でした。つまり、この18時間が惑星間航行時間でした。

アメリカ政府の諮問委員会は、エリーを不毛な事を語る変人とはせす、彼女に終生ニューメキシコのVLAで宇宙の観測研究ポストを与えています。

私達道東に住む者として、カール・セーガン博士やロバート・ゼメキス監督に日本に対する深い造形と東北海道の知識が豊富な事に感謝する次第です。

夢が無ければ、科学や技術の進歩が無い、また、偏見は進歩を阻害すると言う事をカール・セーガン博士やロバート・ゼメキス監督が主張しているのです。

今回は、東北海道釧路根室支部管内が夢のある世界的に大きな舞台となった地域である事を紹介しました。

06 根室地区
北東に延びた通信回線
意義あるその証

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[名称等] 根室市ハッタリ浜海底電線陸揚庫
[座 標] 北緯43度19分31.47秒、東経145度33分50.10秒、海抜3m
[行政等] 管轄が根室市
[所在地] 根室市西浜町ハッタリ浜
[形状等] 幅約4m、奥行き約5m、高さ約3m
[構造等] 鉄筋コンクリート
[工事等] 1900(明治33)年竣工

今回は、北東に延びていた通信回線を紹介します。
時は、明治年間、明治政府は、国土縦貫通信(有線)回線の整備(新設)を進め、それにより商業取引の情報伝達を活性化し、経済活動を向上させると同時、国防の情報伝達の高速化を進める事業に着手しました。 有線通信回線は、東京から全国へ伸びて行きます。本稿では、北に進んだ部分に限定して紹介します。

T:北へ伸びる通信回線
本州の北の端、青森県まで進んだ回線は、1874(明治7)年8月、現在の青森県東津軽郡今別町から北海道松前郡福島町間(約38Km)の津軽海峡を渡って行くことになります。当時の工部省は、海底ケーブル敷設する技術力がなく、敷設は、大北電信会社に委託し開通しました。 その後、1882(明治15)年8月には、青森県一本木村(現在の東津軽郡今別町に合併)と北海道函館市大森浜間(約67Km)に2芯GP(Gutta-percha)海底ケーブルを大北電信会社が敷設しています。(以下後述参照)

U:二本のルート
ここで、歴史を少し進めます。道東まで伸びてきた回線は、釧路まで伸び、一方は根室へ、他方は標津へ伸びて行きます。 釧路・標津ルートは、標津郡標津村(現在の標津町)に延び、三本木(現在の標津川河口、北緯43度40分21.75秒、東経145度07分34.67秒付近)から国後島泊村ノツエト岬までの約25Kmの海底ケーブルを海底ケーブル敷設船沖縄丸(船主:逓信省、2,278t)によって1897(明治30)年夏までに敷設、同年10月から業務が開始されています。しかし、1899(明治32)年2月流氷により切断、同年7月から8月かけて修復工事が行われて復旧しましたが再度の災害の恐れがあるとして1900(明治33)年に廃止されます。 又、1994(平成4)年10月4日、午後10時22分57秒に発生した北海道東方沖地震(震源地:北緯43度22分、東経147度40分、マグニチュウド8.2)によりレンガ造りの標津・国後島電信基地局舎が崩壊してしまいました。 国後島の局舎も同様の構造でしたので同様に崩壊したものと云われています。標津側の局舎は、現在、標津町ポー川史跡自然公園内(北緯43度40分21.75秒、東経145度07分34.67秒)に復元して公開していますので往時の面影が体験出来ます。 廃止後は、釧路・根室ルートになり根室村(現在の根室市)西浜町ハッタリ浜・国後島ケラムイ岬最南端間約40Kmの海底ケーブルを沖縄丸によって敷設され、国後島・択捉島への通信回線は、標津から1900(明治33)年に根室回線に全回線移行しました。 そして1900年度内には、根室市ハッタリ浜海底電線陸揚庫から択捉島蘂取(シベトロ)までの約455Kmの通信回線が稼働し東京・蘂取間の通信回線が完成しました。

V 国際法違反状態と史跡保存運動
何故、日本がソビエト連邦(現在のロシア)に一貫して返還要求をしてるかは、次の基本的な不誠実の是正を要求しているからです。
(下記、備考を参照して下さい。)

第1に日本側が関与する事無く、アメリカの第32代大統領F.D.ルーズベルトとソ連第2代最高指導者J.スターリンの個人的勝手な密約を拠り所として国際法を無視して自分勝手な占領政策が続いているからです。

第2に1951(昭和26)年9月8日、平和に向けてアメリカ合衆国カルフォルニア州サンフランシスコ市で調印した「日本国との平和条約」にソビエト連邦(現在のロシア)が調印していない事実あるのに第二次世界大戦の結果を認めない世界でただ一 つの国と自分勝手な論理を振り回して他者の要求に耳を貸さない状態続けている不誠実で事実を覆い隠そうとしているからです。

国後島、択捉島並びに歯舞色丹諸島との直接通信回線が閉ざされて76年の長き渡っています。現在、根室市ハッタリ浜海底電線陸揚庫は、往時の面影をかろうじて保っていますがみすぼらしさは目を覆うばかりです。 保存活動が活発となり国の歴史的建造物として登録し、国家としての史跡として保存を願う運動を展開しています。
根室市ハッタリ浜海底電線陸揚庫が再び輝ける日が来るまで保存したいものです。

W 備考
A:海底ケーブル敷設戦沖縄丸
日本の最初の海底ケーブル敷設戦、1896(明治29)年2月18日進水、逓信省所属。
総トン数:2,278t、長さ:91.44m、幅:12.19m、機関出力:1,936HP、最大速力:13.45Knt
1938(昭和13)年7月引退するまでに約12,594Km、当時の我が国の海底ケーブの60%を敷設しています。 退役後の1939(昭和14)年10月、名村造船所にて貨物船に改装、1944(昭和19)年5月1日、グアム島南西約195Km付近でアメリカの潜水艦SS-236の魚雷攻撃を受け沈没しました。

B:千島諸島での日本とロシアの国境画定
日本と現在のロシア連邦との国境は、1855年2月7日、伊豆の下田の長楽寺において日本側全権大目付格筒井政憲と勘定奉行川路聖謨、ロシア側全権エフィミー・プチャーチン提督により締結した 日露和親条約により択捉島と得撫島を分ける択捉海峡の中間を国境とし、これより南の国後・択捉・歯舞・色丹その他の諸島を日本領、北側をロシア領としました。
これが、国家間の正式な条約であって、決して陰でこそこそやり取りした密約ではありません。

C:歯舞・色丹島方面
歯舞・色丹島方面には、無線回線を使用して情報のやり取り為されていました。

D:大北電信会社は、本社がデンマークに在り、正式な社名は、GN Store Nord A/Sで日本法人もあります。

掲載履歴
1.♯01、♯02 2020年04月01日  掲載
2.#03     2020年10月07日  追加
3.#04     2021年04月04日  追加
4.#05     2021年08月23日  追加
5.#06     2021年09月01日  追加